大洋丸の原名は Kap Finisterre

小山さん>大洋丸の元の名は Kap finstere (暗黒岬)と言われていますが。

深井>そうですね。でもそれは、間違いです。

大洋丸遺族会編集の『大洋丸誌』昭和60年12月発行p109にも

「KAP FINSTER」これは日本語で「暗黒岬」または「地獄岬」と

言う意の訳がある。このことは、大洋丸の未来を暗示していたと

言えましょう」とあります。

深井>独和辞書で「finisterre」を探して行くと「finster」にたどりつき

「finisterre」に行き会わないせいでしょうね。

大正時代の日本の正式の船名録(早大図書館所蔵)にも

ブルーム・ウント・フォス社史にも

「KAP FINISTERRE」とあるのですよ。

小山さん>スペイン語だとやはり「地の果て岬」のようですね。

深井>terre は、欧州大陸のことで

finis は、欧州の田舎といわれるイベリア半島

大西洋に突き出たところ、最西端の意でしょうね。



ハンブルグ出航後、祖国独逸帝国の富国強兵政策により

南米ラプラタの河口に直行させられる独逸移民たちの目には

欧州大陸の陸影が望見されるのは、わずかにこの岬だから。

余談ですが、大洋丸の上層甲板には20mプールがあり、せめて

赤道直下通過時の炎暑を移民達に避けさせるための設備だったとか。

昭和7年、相良八重らと同船の前畑秀子ら水泳選手たちも

このプールで練習したと当時に東京日々新聞にあり。