賠償船大洋丸を最初に見た日本人

大洋丸は日本に引き渡されて大洋丸となったが、そのハンブルグ港内に他のドイツの商船2,30隻とともに空しく浮かんでいた。(「凡愚問答」 角川新書61 1955 p105 辰野隆
*この本は大森一彦さんから知らされた。辰野隆寺田寅彦と親交があり「人物書誌大系36 寺田寅彦」の著者大森さんは寅彦も出てくる辰野の「凡愚問答」を持っていて、この大洋丸が1回出てくる箇所を偶然見つけコピーを深井に送付されたのである。大森さんは、深井が大洋丸という文字が1回でも出てくる本は全部読むということを、知っている人である。ところが、大洋丸ハンブルグ港で辰野が見た日が、いつなのかはっきりしない。「大正十年の夏の終わりだったか、秋の始めだったか」p105と書かれているのだ。
*すると間もなく、やはり大森さんから辰野の「閑人独語」洛陽書院1949p51のコピーが送付された。そこに「一昨日伯林を発して漢堡(ハンブルグ)に向かい本日再び伯林に舞戻り候」とある手紙の日付大正十年八月廿五日によって、辰野がハンブルグ大洋丸を見た日が大正10年8月24日だったことを証明する。
*ところが大洋丸が、この大正10年8月に、ハンブルグにいては困るのである。それは、当時の「海事新報」という海運業界新聞(早大中央図書館所蔵)が、大洋丸横浜回航が大正10年1月であることを度々報じていて、辰野(と山田珠樹)が見たとしているのは、日本に帰ってからの想像ではないかと、思われる。しかし、大洋丸を最初に見たとの辰野隆の記録は、興味深い調査を後日に残している。