2006-01-01から1年間の記事一覧

坪野哲久>9月展覧会開催中

深井の郷里石川県羽咋郡志賀町立図書館では、同町高浜生、 昭和46年読売文学賞受賞の歌人・坪野哲久の展覧会を開催中である。 同図書館から深井に下記の関係から今春調査依頼があった。彼は昭和16年に「早稲田大学理工学部長付書記」という資格で、 早大…

書誌解説>「内田百輭帖」

この「大洋丸航海日誌」は深井の個人的な調査記録であるが、先般の坪野哲久調査を「1頁 要約」の形式にしたのも、郷里志賀町立図書館からの調査依頼であるし、この「書誌解説」 も「書誌年鑑」の中西さんの依頼である。個人的調査といっても、やはり他人の…

書誌解説>ブロンテ文学の文献目録>解説続

『ブロンテ文学の文献目録』の分類構成は41項目からできているが、 そのうちの1項目「広い藻の海」はカリブ海の諸島で行われていた 黒人奴隷搾取に抗議する意味をもつ小説の題名で、カリブ海うまれの 女流作家ジーン・リースの作品であるという。 つまり…

書誌年鑑>書誌解説

今年は3点の解説を申請した。そのうち「ブロンテ文学の文献目録」という書誌の解説草稿を 作成しはじめている。 第一稿は次ぎのようである。 1981年にはじまる編者のブロンテ関係文献探索や書誌出版の総結集。邦文文献にかぎり、図書収録記事、雑誌掲載記事…

坪野哲久>哲久記念館

深井の郷里石川県志賀町立図書館では司書の森さんの骨折りで、9月1日から30日まで、 毎日なにかの記念会をしているが、図書館自身は「坪野哲久展」を開催中で皆さん忙しい。

大洋丸>田久保英夫>みづ乃本日閉店

坂本さんに教えられた「文学界」平成16年12月号の「大洋丸」記事は、芥川賞作家田久保英夫 の小説に「大洋丸」のウエイターだった兄光太郎のことが思いがけない箇所に出てくることを調 べてあった。深井はそうした作品をいくつか知っていたのであるが、…

坪野哲久>講演会展示会

深井の郷里石川県志賀町立図書館が今年行う、志賀町高浜出身の歌人 坪野哲久の生誕100年記念講演会展示会の開催日程が届いた。 図書館の森さん北谷内さんから大体は聞いて知っていたことではあるが 下記のようである。プレイベント 8月27日(日)午後…

大洋丸>田久保英夫の大洋丸関係作品

坂本さんが、この「大洋丸航海日誌」ブログに書き込んで報知してくれた「文学界58(12)」2004年12月号の記事に、やはり「大洋丸」関係記事があった。書かれているかも知れないということを、坂本さんはなんで知ったのだろう。よく行く東陽図書館…

坪野哲久>早稲田大学「1頁要約書誌」第3版

深井編集発行の年刊誌『文献探索』では、「1頁要約書誌」というものの原稿を募集している。 自己設定の文献探索のテーマについて、執筆者の異なる見解を5行5件程度集めて、 自分の理解の範囲で要約して示す作業である。そのテーマについての見識を深める…

坪野哲久>早大理工勤務

志賀町立図書館の森さん依頼で調査をはじめてきたが、明確な証拠となる記事や写真などは、 未発見である。かえって、 志賀町で出版の『坪野哲久小説集』収録の小説作品「鎖」のなかの主人公のモノローグのような 箇所、森さんも既知の坪野哲久にこの就職口を…

坪野哲久>早稲田大学書記・1頁要約書誌2版

早稲田大学理工学部長付書記坪野哲久・1頁要約書誌・2版(深井人詩) 要約末尾に頁のみの典拠は(山本司「歌集碧巌」坪野哲久 短歌新聞社 1998) 明治39年9月1日 坪野哲久 高浜町に父・次六、母・よねの4男として出生(p121) 大正10年 山本忠興、…

早稲田大学書記・坪野哲久・1頁要約書誌・1改訂(深井人詩)を作る。

坪野哲久は歌集「碧巌」で、昭和47年読売文学賞受賞。今年平成18年は生誕100年、 郷里石川県志賀町町立図書館では記念行事を行う。同館の森さんから坪野は早大に勤務 したことがあり早大退職者の深井に一歩踏み込んだ調査をして欲しいとの依頼があった。(山…

坪野哲久>山本忠興理工学部研究所長付書記?

坪野哲久は歌集「碧巌」で昭和47年読売文学賞を受賞。今年平成18年は生誕100年、 郷里石川県志賀町町立図書館では8月に講演会、9月展覧会を行う。同館司書森さん から早大退職者同町出身の深井に坪野早大勤務状況調査の依頼があった。深井作成 著作目録収録…

坪野哲久>大学の書記は蛆虫

坪野哲久が山本司作成の年譜(「歌集碧巌」短歌新聞社文庫)のなかで「早稲田大学 理工学部長付書記」となった感想を、小説「鎖」のなかで、もう一箇所書いているのは、 次ぎのようなことである。○大学の書記は蛆虫みたいなものだ。わからずやの教授と商売上…

坪野哲久>大学の書記

坪野哲久の小説集のなかに確かに大学に書記として勤務していたらしい箇所を見付けたと思って、あとでその箇所はすぐわかるとおもい、先に読み進んだ。11篇収録のうち最後の1篇「妻の砦」にかかろうとして急にあの箇所を抄録しておかないと忘れるかもしれ…

坪野哲久>作品「鎖」

坪野哲久小説集、梶井両先生の著作目録を入力中に草臥れると読んでいる。坪野哲久が早稲田大学に書記として勤務していたことを裏付ける箇所がないかと思っていたら、あった。そこはあとでもすぐわかると思って、さきを読んでいって、今日抄録しようとして探…

坪野哲久>山本忠興資料

坪野哲久が写っている写真と同じ頃撮られた写真で、同じような人物がいる写真がないか調べるために、早稲田大学史資料センターに出かけた。先日校友だが何か証明するものでも持っていかないといけないか、メールで訊ねたら、不用だということであった。 梶井…

坪野哲久>大隈講堂前写真

坪野哲久が写っている写真、森さんからコピーで届いている写真は、早稲田の大隈講堂を背景にした、早稲田大学写真撮影定番の場所である。26人で、坪野は後方列で右2,2人目、学生服の二人の間に挟まって肩から上を出して立っている。前列は椅子にすわっ…

坪野哲久>『坪野哲久小説集』

●『坪野哲久小説集』が、深井文庫を収蔵してもらっている志賀町立図書館の森さんから贈られて来た。早速、戦前作品「南京錠」「雷雨」から読み始める。

坪野哲久>自分を貶めず

(高山雅夫)http://www1.parkcity.ne.jp/blueblue/sanbun/tekkyu/tekkyu2.htm ○木琴をたたきてあそぶ孤(ひと)つかげ秋しばしだにやすらぎあらせよ 「木琴を叩いて遊んでいる(幼い我が子の無心の)孤独な姿。(その孤独な営み)にとって(厳冬期を前にし…

坪野哲久>石内徹、加藤克巳

(石内徹)http://www2s.biglobe.ne.jp/~hatak/emag/data/ishiuchi-toru01.htm 二十年ほど以前、東京・経堂に坪野哲久・山田あき御夫妻をおたずねした。寒かったので、冬であったろう。壮年を過ぎていた御夫妻は、当時すでに高名な歌人であった。 私たちが通…

大伴家持>九州下向

○藤原氏は、対立する大伴氏の棟梁である家持の父・大伴旅人を、都から遠ざけるために、中納言のまま太宰帥を兼任させた。旅人の留守中、天平元年(729)2月、時の最高権力者・長屋王が謀反を起こしたとして捕まえられ、2日後に殺された。藤原不比等の子…

坪野哲久>早稲田大学理工学部長付書記

●坪野哲久>早稲田大学理工学部長付書記 ○昭和16年(35歳)秋より早稲田大学理工学部長付書記に就職(「歌集碧巌]短歌新聞社文庫1998p122) ○山本忠興理工学部長名・昭和15年11月27日付「早稲田大学中央研究所設置要項案」の「施設ヲ必要…

大伴家持>太宰府の跡

博多駅からJRの普通で行った。都府楼南駅(とふろうみなみ)でおりたら道路に面した切符売り場にたっているような駅員に、タクシーはといったら、そんなら呼んであげますよと行って駅内電話をかけてくれた。タクシーは待つほどもなくすぐきた。太宰府の跡…

坪野哲久>関係文献の掲示方法

グーグルで「坪野哲久」を検索。第10列からの坪野研究者をあげると、 大西巨人、塚本邦雄、前川佐美雄、斎藤慎爾など。しかしこれらを数え上げても 志賀町立図書館を日本一の坪野哲久資料館にしたい森さんは役立たないだろう。 深井は文献探索研究会を主宰…

坪野哲久>「坪野哲久小説集」4月刊行

グーグルで「坪野哲久」を検索。第5列から9列までの坪野研究者をあげると、 坪野荒雄(哲久子息)、吉田亜希子(「まひる野」歌人)、渥美秀夫(愛媛大教授)など。 志賀町立図書館で生誕100年記念行事として4月「坪野哲久小説集」100部刊行。 古書店…

坪野哲久>内野さんのコメント

グーグルで「坪野哲久」検索4列目の途中で、内野(醍醐)光子さんのブログに出会った。深井編集発行の前誌『書誌調査』現誌『文献探索』の1995,1997,2000年版に3回もご寄稿の内野さん。内野さんに坪野哲久に関する記事があったのである。そ…

坪野哲久>内野光子

坪野哲久と早稲田大学理工学部の関係調査にまだ入れないでいる。『文献探索2005』の 校正が未了だからである。今日は堀込静香さんの登山と旅の写真が指定位置に正しく納まっているかどうか、しきりに心配になるので、田川さんへ指定通りか確認してほしい…

大伴家持>大伴の家と家持の生年

「大伴の家」 祖先の天忍命(あめのおしひのみこと)が天孫降臨の時、先導役をつとめた。やはり祖先の道臣命(みちのおみのみこと)が神武天皇東征の時、先導者となった。伴(とも)の役割であったのである。官にしたがう者の言立(ことだて:誓い)「海行か…

坪野哲久>山本忠興資料

坪野哲久が、昭和15年7月から17年1月まで、早稲田大学理工学部長付書記だったとのことであるが、当時の理工学部長は山本忠興であった。早稲田大学校史資料センター所蔵の個人文庫のなかに山本のものがある。各時代の関係資料が沢山あることがネットで…