2007-05-01から1ヶ月間の記事一覧

大洋丸航海日誌

○大洋丸には大本営から極秘裡に派遣された前島寿英中佐、鈴木英少佐、松尾敬宇中尉らが、船医、高級船員、一等船客に身をかくして乗り込んでいた。ホノルル総領事館書記生として潜り込んでいる吉川猛夫海軍予備少尉や、軍事情報の収集に当たっていた奥田乙治…

大洋丸航海日誌

○大洋丸は大正9年第一次大戦終了時の賠償船でドイツから受け取ったものだが、その時引き取りに行った三井物産の山本幸男氏の子息邦男が、偶然にもこの遭難事件の犠牲者になった。大正年間の大洋丸は太平洋航路及び長崎−上海−神戸の航路にも就航し、長崎市の…

大洋丸航海日誌

○尾崎秀実を知ったのは昭和11年の夏、ヨセミテ国立公園で、太平洋問題調査会があり、日本の代表団に加わって、大洋丸で横浜を出帆しようという前日だった。調査会の日本事務局長牛場友彦が今度の会議に出る尾崎を紹介するというので、丸ビル地下の喫茶店で…

大洋丸航海日誌

○大洋丸に乗船した江商組ただ一人の生存者としてご遺族の弔問・葬儀に参列した。乗船を控えて慌ただしく華燭、新婚ほやほやの笠井未亡人、同じく新婚の三上未亡人の目も当てられぬ慟哭、母一人子一人で育て上げ、僅か一週間前に盛大に見送りをして、今聞く訃…

大洋丸航海日誌

○バランスをうしなったボートは海上高く宙づりになり、必死の思いで取りすがる人々も、豆の様にばらばらと暗夜の海上に振り落とされて行く。この惨状を目撃してボートを諦め、最後まで船に残りスタミナ温存を計る事にした。ボートに乗ることを諦めるとなにも…

大洋丸航海日誌

*英国から長崎造船所へ発注の世界一豪華客船進水式が4C「今日は何の日」に出た。姉妹船の姉船の工事中の火災事故を中心に配線担当の清水さんという人の視点から紹介あり。妹船の方を名をとりかえて引き渡し日に間に合わせたなど事実は小説よりも奇なり。…

大洋丸航海日誌

○昭和17年5月6日船団会議があり、109船団5隻のうち最低速9.5ノットの御影丸に速度をあわせることに大洋丸の原田船長が、機関整備が困難になるほか、敵潜水艦の好餌になると言って強力に反対した。ところが御影丸は海軍関係船で陸軍の船団からはずことは陸…

大洋丸航海日誌

*「オリンポスの果実」を北国新聞掲載「わが半世記」で「ストーリーは田中英光さんというボートの選手が女子選手に思いをよせるのだが一方通行で・・・」と長井百合子さんはやはり自分が走高飛跳選手として出場した昭和7年のロスオリンピックを物語はじめる。…

大洋丸航海日誌

*大洋丸に乗船し昭和7年のロスオリンピックの女子走高飛に出場の広橋百合子のわが半世記が故郷押水の図書館の調査で判ったので北国新聞の読者サービスから昭和52年10回連載した談話を取り寄せた。1頁500円で5000円。これまでに調査した広橋記事の内では最…

大洋丸航海日誌

*大洋丸という文字がとにかく出ている文献を見つけ記事を要約して内容の時系列に並べる作業を続ける、というのが最もシンプルな目的でありその過程で日本が近代の戦争に巻き込まれて行く事情を読み取り自分の生きてきた時代というものへの認識をより一層深…

大洋丸航海日誌

*カメラマンの藤波さんは前田利為ボルネオ司令の遺志を継ぎ撮影された文化映画「キナバル山」を大変な努力で撮り終えたフィルムを持って昭和18年の暮れ内地に帰ってきた。○南方ボケの私の頭と皮膚は内地のきびしい冬の風にさらされて悲鳴をあげた。二年ぶり…

大洋丸遭難を後にして吉野丸は南へ

*大洋丸撃沈を後ろにして藤波さんたちの吉野丸は南方を目指す。南方の占領地に行って戦争継続のための資源を開発して一日も早く日本に送らねばならない使命がある。大洋丸から投げ出された人々を救助してはいられないのである。藤波さんは続いて次のように…

大洋丸遭難の目撃者藤波さん

大洋丸撃沈を見て大洋丸乗船から吉野丸乗船に突然変更になって命拾いをした高橋さんと同じ立場の藤波さんはこの時の思いを次のように書き残している。 ○夜の闇が迫り五島列島沖の暗い海面にただ一つポツリと光る大洋丸の燃える姿が船尾の遠くにいつまでも見…

大洋丸航海日誌の継続

昭和17年5月8日、大洋丸が3発の魚雷攻撃をうけ積荷カーバイトの誘発で猛烈な火炎をあげて撃沈する様子を同船団吉野丸から目撃した二人の人の公刊された手記2冊は読んでいた。一冊は中公文庫になっていて江東区の図書館から借りた藤波さんの「ニュースカメ…