フィニステレ岬沖を行く「深海の使者」
小山さん>ドイツ移民船の船名に、なぜスペインの岬名を
つけたのでしょう。
深井>ハンブルグ出航後、祖国独逸帝国の富国強兵政策により
南米ラプラタの河口に直行させられる独逸移民たちの目には
欧州大陸の陸影が望見されるのは、わずかにこの岬だから
だろうと、考えているのです。しかし確証はありません。
ちなみに、日本人の小説か旅行記に、この岬名がでてこないか
調べていますが、これまでに1件だけ見つかっています。
それがなんと、吉村昭の「深海の使者」という作品です。
時は昭和19年8月27日、太平洋戦争の真っただ中、
今度は同盟国になったナチス・ドイツへ軍事連絡に行く
日本海軍の伊号第八潜水艦が、この岬を望見する様子が描かれています。
○伊号第八潜水艦は、潜行したまま航走を続け、数隻のイギリス哨戒艦が
待機しているというフィニステレ岬に除々に近づき、日没時には、同岬の
南西約6マイルの位置に達した。そして日が没してから一時間後に、
ひそかに浮上した。
(「吉村昭自選作品集 4」 新潮社 1991 p119 吉村昭)
さらに、余談ですが、大洋丸の上層甲板には20mプールがあり、せめて
赤道直下通過時の炎暑を移民達に避けさせるための設備だったとか。
昭和7年、相良八重らと同船の前畑秀子ら水泳選手たちも
このプールで練習したと当時の「東京日々新聞」が記しています。