大洋丸は戦勝国日本への独逸賠償船

小山さんが、また尋ねる。
大洋丸ってドイツ船だそうですね。

答える。
第一次世界大戦
現在の中国チンタオ(青島)の独逸経営市街を
日本が漁夫の利を占めて攻略(参戦決定は大隈第2次内閣)
戦勝国となって独逸帝国より全賠償額の0.75パーセントを取得
大洋丸カップ・フィニスター地の果て岬号:スペインの岬名)ほか8隻。

ハンブルグ港の当時世界第1級造船会社
ブルーム・ウント・フォスが1911明治44年8月建造
南米ブラジルの奥地に移民を送り込むための
ラプラタ河を遡れるよう平底・腰高に設計された貨客船
山下埠頭の氷川丸より千トン大きい1万4千トン
横浜回航は大正10年1月
淺野総一郎の東洋汽船が大蔵省より運航受託。

また、小山さんが言う。

大洋丸の元の名は
Kap finstere (暗黒岬)。固有名詞ですから意味はないですね。

大洋丸遺族会編集の『大洋丸誌』昭和60年12月発行p109にも
「KAP FINSTER」これは日本語で「暗黒岬」または「地獄岬」と
言う意の訳がある。このことは、大洋丸の未来を暗示していたと
言えましょう」とある。

辞書で「finisterre」を探して行くと「finster」にたどりつき
「finisterre」に行き会わないせいですかね。

大正時代の日本の正式の船名録(早大図書館所蔵)にも
ブルーム・ウント・フォス社史にも
「KAP FINISTERRE」とありました。
両方のコピーを持っていたのですが今探せません。

スペイン語だとやはり「地の果て岬」のようですね。

terre は、欧州大陸のことで
finis は、欧州の田舎といわれるイベリア半島
大西洋に突き出たところ、最西端の意でしょうか。

Cap finisterre なぜスペイン語の地名を取ったのでしょうか。

ハンブルグ出航後、祖国独逸帝国の富国強兵政策により
南米ラプラタの河口に直行させられる独逸移民たちの目には
欧州大陸の陸影が望見されるのは、わずかにこの岬だから。

余談ですが、大洋丸の上層甲板には20mプールがあり、せめて
赤道直下通過時の炎暑を移民達に避けさせるための設備だったとか。

昭和7年、相良八重らと同船の前畑秀子ら水泳選手たちも
このプールで練習したと当時に東京日々新聞にあり。

cap Finisterre (1509)の戦いというのがありますね。
仏蘭西vsスペイン?これに関係があるのかも?

よく調べましたね。
これは知りませんでした。