2005-01-01から1年間の記事一覧

大洋丸>海への憧れ

森井さんは文献探索10月談話会大洋丸物語の時に古石場文化センター3階会議室に現れた江東区在住最初の出席者であった。驚いたことに森井さんは深井が始めて海水浴した石川県羽咋郡志賀浦村安部屋で泳いだことがあるというのだ。安部屋は彼の祖母の在所だ…

大洋丸>沈没地点の緯度経度

「大洋丸」の沈没位置はほぼわかっている。「大洋丸」関係者によって編集・刊行された「大洋丸誌」p64によれば、沈没位置は北緯30度45分、東経127度40分である。 この遭難による死者の数の合計817人も「年表太平洋戦争全史」の通り正しい。

大洋丸>沈没地点

*「大洋丸」がアメリカの潜水艦グレナディア号の雷撃を受け撃沈した地点は戦艦大和の沈没地点とはそう遠くはないらしい。大和は、最近の映画「おとこたちの大和」でもわかるように戦後生まれの日本人にも知名度は抜群である。特に今度の映画は角川源義のい…

大洋丸>富岡弥右衛門船長

越中島海洋大学の100年記念館の「大洋丸」の航海日誌によれば、 私の生まれた昭和10年の6〜7月は第48次航海で 船長は富岡弥右衛門さん、どなたかこの人のことを、 ご存じのかた、いらっしゃいませんか。

大洋丸>年表太平洋戦争

昭和17年5月8日、南方占領地開発に向かう多数の技術者らを乗せた陸軍徴用の日本郵船「大洋丸」は、長崎県男女群島沖で米潜水艦に撃沈され、船客660名と船員157名戦死。救助543名。大洋丸は第一次世界大戦の勝利国としてドイツから獲得した賠償船で、戦前、サ…

大洋丸>航海・2005・序文

「大洋丸」関係記事の発表は、これで18回目になる。「早稲田大学図書館紀要34,38,40」3回、「書誌調査1990-1996」7回、「文献探索1997-2001,2003」6回、こつう豆本141の「大洋丸の航海」を1回とすると、これまでが17回であるからである。 発表形式は、その…

大洋丸>大洋丸2005航海1

大洋丸ブログ掲載のためにまづワード入力していた分を、最近のところから記事内容の年月順に、配列し始める。先日三木身保子さんから手紙を受け取ったが、彼女の母上は日本でもう95才で健在だとのことである。以前に三木さんから聞いたはなしでは、母上は…

大洋丸>豆本の装幀

東京商船学校卒業生で現在ロンドン在住の元船長さんが、田辺さんの同級生で、海員組合関係の仕事をしているという。「文献探索2005」の寄稿者田辺さんの話である。堀込さんの追悼想い出集編集で、田辺さんの住所を随分探した甲斐があった。「大洋丸の航…

大洋丸>昭和10年6月航海日誌

昨日12月1日は、越中島の東京海洋大学にこれまでのように、午前中1時間半だけ行って、「大洋丸」の航海日誌を抄録した。書庫に並んでいる順に取り出してくるのだが、昨日は偶然私の生まれ年昭和10年の6月からのであった。これから『文献探索2005』の編集に…

大伴家持>東大寺

「大洋丸物語」を『文献探索2005』編集のため休止し、かわりに「大洋丸」や「大伴家持」の抄録の断片を掲載する。 今日は「大伴家持」 越中時代、最も作歌に熱中したが、日記は私日記で、公務の記載は少ない。天平感宝元年 東大寺占墾地使平栄来る。国家の大…

大洋丸>駆逐艦春月

志賀浦村安部屋の海は、幼い日の海水浴の思い出、穴水町鵜島の造船所の記憶は、負け戦さに護衛なしの丸裸で日本海に出て撃沈される輸送船のくやしさ。とうとう父に召集令状が来て、母の実家のある土田村の国民学校に転校。新制中学で一番凄かった山下先生の…

大洋丸>深井の安部屋

安部屋の海や、鵜島の造船所が「大洋丸」という船のあれこれを調べて50年を過ごした男の海というものの憧れの原風景であると、一人思い定めてきたものだが、住んでいる江東区区営の文化センターで文献探索研究会の談話会を呼びかけたら、一人入って見えた人…

大洋丸>鵜島造船所

能登の山村に生まれ育った私が、大洋丸という商船に18才の時に、本のなかで出会い、図書館勤務で身についた文献探索癖のために、今日まで大洋丸の記事を探し続けて来た。その因縁は、安部屋の海にある。狭い田圃の盆地から森の生い茂る峠を越えて、見晴るか…

大洋丸>昭和13年5月6日−25日

11月17日に東京海洋大学越中島百周年記念館にて抄録部分の一部。 昭和13年 大洋丸航海日誌の一部(11月22日ブログに続く) 第66次航 ホノルル 05月06日 (ホノルル→桑港) 05月07日−05月11日 桑港 05月12日−05月13日 羅府 0…

大洋丸>天野編著・本庄序文

「本庄栄治郎・序文」坂本さんの教示で、本庄が洋行の帰途昭和12年10月、大洋丸乗船者だったことがわかった。深井の書誌学の師天野敬太郎編「論文総覧」の序文執筆者である本庄を覚えていた深井は、同序文再見のため同書所蔵の深川図書館に予約した。23日予…

大洋丸>昭和13年4月

11月17日に東京海洋大学越中島百周年記念館にて 「大洋丸航海日誌」抄録部分の一部。 昭和13年4月 第65次航(桑港→ホノルル) (04.01−04.05) ホノルル 04.06 (横浜←ホノルル) (04.07→04.16) 横浜 04.17−04.18 (横浜→神…

大洋丸>本庄栄治郎序文

「本庄栄治郎序文」坂本さんからの報知で、本庄栄治郎が大洋丸乗船者だった記事は、 昭和12年4月15日、箱根丸で神戸発、5月23日マルセイユ、ベルリンから欧州を旅行、英国から米国へ、10月7日桑港から「大洋丸」に乗船、24日横浜に帰着(「本庄栄治郎著作集1…

大洋丸>政府御用船

「政府御用船」1941年8月の太平洋航路閉鎖により、人と物資が滞留したので、日本政府は米国政府と交渉し、各自国への引揚者を輸送することになった。10月に政府は日本郵船の3隻を傭船、日本郵船旗を降ろし、煙突を黒塗り郵船マークも消した政府御用船を米国…

大洋丸>航海日誌>昭和13年3月

「船用航海日誌・昭和13年3月中」東京海洋大学越中島分校の百周年記念館で 「大洋丸」航海日誌を今日は吉田先生の許可で閲覧する。 吉田先生は昨日紹介した泉孝英「日本・欧米間、戦時下の旅」の巻末に 世話になった人々のなかに記されている人である。 …

大洋丸>徳永太郎

「坂本報知」により、「日本・欧米間、戦時下の旅−第二次世界大戦下、日本人往来の記録」を知り、江東区にはなかったが、都立中央図書館にあったので、借用を申し込む。「徳永太郎」は、1941年6月2日、在スイス日本公使館3等書記官に任ぜられたが、独ソ戦で…

大洋丸>昭和15年第11−12次航

○東京海洋大学越中島分校の百周年記念館で 「大洋丸」航海日誌を今日は庄司先生の許可で閲覧する。 以下は1時間30分の閲覧で行ったその抄録である。 昭和15年 第11次航 上海 08.18→08.21 上海→神戸 08.22 神戸 08.23→08.25 …

大洋丸>本庄栄治郎

○「本庄栄治郎」坂本さんから教示の「本庄栄治郎著作集」からの、「大洋丸」抄録は次ぎの通りである。 ●「昭和12年10月7日」昭和12年4月15日、私は郵船箱根丸の船客となって神戸を発し、5月23日にマルセイユに上陸し、ベルリンに本拠を置いて欧州大陸各地を…

大洋丸>昭和15年1等運転士沖義八郎

○東京海洋大学越中島分校の百周年記念館で 「大洋丸」航海日誌を吉田先生の許可で閲覧する。 以下は1時間ほどの閲覧で行ったその抄録である。●「大洋丸」 昭和15年 船長:徳永貞砥 1等運転士:沖義八郎 2等運転士:内田実治・伊藤一兵・山梨亀太郎 3等…

大洋丸>小田桐誠著書と深井人詩著書

11月7日、坂本さん教示の「大洋丸」記事を掲載するという「日本・欧米間、戦時下の海」および「本庄栄治郎著作集10」の貸出票を東陽図書館に出す。いずれも都立中央図書館所蔵本である。坂本さんに教えて貰ってから、予約するのが大変おそくなった。申し…

大洋丸>田久保英夫の小説

○芥川賞作家田久保英夫の兄・田久保光太郎は「大洋丸」の厨房員だった。田久保の小説には兄の記憶が点綴されている。田久保は2001(平13)年4月14日、食道癌による動脈破裂で死去、文芸雑誌の追悼作品解説に「大洋丸」らしい船の船員が出てくる。 ●処女作「…

大洋丸>お孫さんの墓参

○昨報、大洋丸乗船者のお孫さんは、 最近、幼い頃父から聞いた祖父の事を思い出し、 多分「大洋丸」で検索して、 このブロクを発見されたらしい。 墓参して亡くなった期日、昭和17年5月8日を確認、 大洋丸乗船者だったろうといわれる。 父上の話では、お…

大洋丸>乗船者のお孫さん

○「布哇年鑑」日布時事社のものは以上のほかに、早大にはない。 大洋丸の一人の乗船者のお孫さんが、このブロクを見たといって、 その乗船者についてメールで問い合わせて来られた。 珍しい出来事である。

大洋丸>布哇年鑑1934-35

●引き続き「布哇年鑑1934-35」より、大洋丸記事を抄録する。 「昭和8年12月2日」禁酒撤廃を見越し、米大陸行き日本酒を積んだ大洋丸寄港(p34) 「昭和8年12月20日」桑港よりの大洋丸で経済評論家の高橋亀吉氏が寄港、正午よりヌアヌ青年会で講演(p34) 「…

大洋丸>「布哇年鑑1934−35」乗船者芳名

●引き続き「布哇年鑑1934-35」より、日本郵船太平洋航路船関係記事を抄録する。 「昭和8年11月21日」桑港よりの龍田丸でロンドン駐在財務官津島寿一氏、前桑港総領事若杉要氏ら寄港。 「昭和8年12月2日」税金を払った酒類の布哇輸入に対しては干渉せずとウッ…

大洋丸>「布哇年鑑1934-35」掲載乗船者

●引き続き「布哇年鑑1934-35」より、日本郵船太平洋航路船関係記事を抄録する。 「昭和8年10月15日」新渡戸稲造博士カナダ・ビクトリアで客死の悲報達す。 「昭和8年10月25日」桑港よりの大洋丸で日本労働組合連合委員長坂本孝三郎氏や南米に遠征した日本陸…