2006-02-01から1ヶ月間の記事一覧

大洋丸>オリンピックへ出発

○大洋丸の航海記事が、またまた坂本さんから寄贈されてきた。「織田作之助 田中英光 坂口安吾 三人展」という展示目録の中の記事である。昭和44年1年14〜26日伊勢丹本館特設会場とある。P50の写真説明文に「昭和7年7月日本郵船大洋丸船上にて、後列左端田中…

大伴家持>志賀4首>特例3件

「大伴家持・能登の歌」は「志賀町を囲む4首」という絞り込んだテーマとすることで、いよいよその特別な意味を発見することができた。「気多の神宮に赴き参り」という題詞は、これを神宮参詣の際の歌が万葉にあるかというと、ここだけにしかないのである。…

大伴家持>熊来を指して

○私の大洋丸航海日誌は、ついに大伴家持と遭遇して、家持を乗船させて、香島津の七尾から熊木を指して船出している。熊木はコマキがクマキになったという。コマキとは郄麗来で渡来人が住んでいるところの意という。

大洋丸>航海日誌

○大伴家持はその時期、天平20年春3月の出挙のとき、彼の身の上には、どのような任務があったか。聖武天皇の要求は、橘諸兄の要請は、大伴一族の族長とも言うべき彼への期待は?などなど究明すべき事共がある。 ○一口に、出挙というが単に官稲種米を貸し与…

大伴家持>わずかな足跡

大伴家持は、現在能登について文字に書き表したものを、書き残した最も古い人だったのだろうか。1200余年も以前に、能登を10日から1箇月あまり、騎乗したり、歩いたりして彼は、確かに当時当所にて属目のことを題詞と短歌で4首、旋頭歌で1首のこし…

大洋丸>安部屋の海

火打ち谷の峠、松林が朝露に濡れて松葉から輝く滴をおとしていた。空に入道雲の恐ろしげな黒い青い姿が、遙か向こうの山々におおいかぶさっていた。海苔巻きおにぎりを包んだ風呂敷をしっかり担ぎ直して歩き出す。初めて泳いだ安部屋(あびや)の海への熱く…