2006-01-01から1ヶ月間の記事一覧

大伴家持>藤原一族への敵対心

現在の志賀町を囲むようにして詠われ、残された能登の歌4首、大伴家持天平20年748年「出挙」の「当時当所にて属目の」情景の歌は、謎の問いかけを私に投げかけてくる。妹にあわず久しくなりぬとか、楫とる間なく都し思ほゆの「思い」は、単純に奈良の…

大伴家持>巡行地名

1月23日付で、志賀町立図書館より「大伴家持・能登の歌」講座への講師依頼が来ている。 2月19日(日)午後2時〜3時半 図書館2階 おはなし会室 となっている。 今回は、天平20年(748年)3月、大伴家持能登出挙巡行時の「現在の志賀町をめぐる」4首の地名と…

大伴家持>饒石川巡行

○私の志賀町を囲んで、天平20年に大伴家持が多分騎乗と、船上で詠んだ歌4首が、この日頃の私をもまた取り囲んでいる。すなわち、志雄路から・・・鳥総たて・・・鹿島より・・・妹にあわず・・・の4首である。この道筋を、今の地名と言葉で説明してみる。氷…

生まれ故郷>作家と学者

母の生まれ故郷は、今の志賀町新林、父の生まれ故郷は、今の宝達志水町杉野屋、間に羽咋市を挟んでいる。羽咋市の真ん中を日本海に注ぐ川が羽咋川、その河口から遠く香島津すなわち七尾に向かって東北に向かって低湿地溝帯がはしり大昔は海、それが邑知潟で…

大洋丸>能登の島山

大洋丸と大伴家持の能登巡行の歌5首がどうして私の頭のなかで結びついたものか。 長い間自分の郷里などとは無縁の大洋丸であるが、なぜか有縁であるとおもって調べてきたら、どうもこれは、自分の人生とも郷里とも深くかかわっているのではないか。そう思わ…

大洋丸>石川県鳳至郡穴水町

石川県鳳至郡穴水町、そこは私が太平洋戦争の間、国民学校に通った町である。昭和16年一年生の冬12月に真珠湾攻撃があり、昭和20年父が出征し、空襲警報のサイレンが鳴っていた夜、富山が炎上するもの凄い煙を見てから、母の実家に疎開して一週間、戦争が終…

大洋丸>大洋丸の記事ありげな本

現在は「文献探索2005」に寄せられた原稿の総点検中であるが、これが終わったら 海洋大図書館越中島分館で読みたい本を、はてなアンテナの登録サイトでみて、 越中島にあるものを、挙げておく。 海事年鑑昭和2−19年・日本海運死闘の航跡・帝国主義下…

大洋丸>大洋丸の航海・2005・まえがき

「文献探索2005」の深井自身の作品「大洋丸の航海・2005」は10頁になった。 「まえがき」は次ぎのように終わる。 中学の英語教師山下先生は、戦艦大和の護衛駆逐艦乗組員で、大和撃沈時、海に投げ出され九死に一生を得られた。教諭着任の歓迎講演会でさ…

大洋丸>山下海軍少尉

山下先生から中学3年間、英語を習った。戦艦大和の護衛駆逐鑑搭乗の海軍少尉だけあって、紺の背広だと一層すらりとして姿勢がよかった。たまたま映画「おとこたちの大和」 を見た。あの伊藤整一(渡哲也)が搭乗してくる一場面は素敵だった。あの姿勢である…

大洋丸>山下少尉>東京商船学校卒業

○「大洋丸」に山下先生が乗船したことがあると、夫人の青山先生は受け取られたようだ。 山下先生が戦艦大和の護衛駆逐艦夕月に乗船、昭和20年4月7日米軍機の襲撃で、海中に投げ出され、9死に一生を得て生還の話を、中学1年生で聞いたことが、大洋丸調査に…

能登の歌>家持5首>語句解釈文献表

○ここ2,3日、家持5首に使用された語句に関する今日の 研究文献からの解釈を一覧にする作業をした。 高岡万葉歴史館の主任司書、梶さんから送ってもらったコピーや 江東区の図書館でコピーできた40点ほどの文献を一覧表にしたものです。 使用語句は五十…

大洋丸>安洋丸船長のきいた大洋丸遭難

○昭和17年5月15日、高雄に入港して、初めて「大洋丸」の遭難を知った。南方占領地行きの関係者を多数乗せ、海軍艦艇援護の下に航行中、去る8日夜東支那海で敵潜水艦の雷撃を受けて沈没したとのことであって、魚雷命中と同時に大火災を起こし、しかも波の高い…

能登の歌>書名・誌名順関係文献リスト

「大伴家持・能登の歌5首」 文献リストをエクセルで作成。書名・誌名巻号の50音順だが、執筆者名50音順にもなるように、執筆者名にもヨミを入れた。25文献位できた。 これまでに読んだ参考文献リストで、5首の重要語とその解釈欄の2列を作った。 例…

能登の歌>珠洲の海

●珠洲郡より発船して治布に還りし時に、長浜の湾に泊てて、月光を仰ぎ見て作る歌一首 珠洲の海に朝びらきして漕ぎ来れば長浜の浦に月照りにけり ○珠洲郡飯田の海から早朝船出して越中高岡の国府に帰った時、途中長浜の浦に泊まったところ、月光は中空にかか…

能登の歌>仁岸川

●鳳至郡の饒石川を渡りし時に作る歌一首 妹に逢はず久しくなりぬ饒石川清き瀬ごとに水占はえてな ○羽咋郡の北、鳳至郡の剣地にある仁岸川を渡った時の歌。妻に会わずに長く時が経った。川の清らかな瀬ごとに、水占をしてみよう。水占の方法は知られていない…

能登の歌>香島から熊木へ

○七尾から乗船して中島村を目指していると船の櫓が休む間もなく動いているように絶え間なく都のことが思われてならない。家持の思いは奈良においてきた妻のことという。高浜虚子も「家持の妻恋船か春の海」と読んでいるが、私はそういう気持ちもあるだろうが…

能登の歌>能登の島山

●能登郡の香島の津より発船して、熊木村を指して往く時に作る歌二首 鳥総立て船木伐るという能登の島山今日見れば木立繁しも幾夜神びそ ○七尾から船出し、中島村を目指した時の歌。船用材伐採の際に鶏冠のような梢を根に立て祈る風習がある能登島を今日見る…

能登の歌>志雄路から羽咋の海へ

○「大洋丸」から派生してきた「大伴家持・能登の歌5首」に関して、 ●抄録と、○私注とで、これからしばらく日記していくことにする。 その「大洋丸」と「大伴家持・能登の歌5首」との関係は、以下の通りである。 ○「大洋丸」に乗船して、昭和7年のロサンゼ…

大洋丸>航海日誌記録

大洋丸今年の抄録作業は越中島東京海洋大学所蔵大洋丸航海日記残存分昭和12−15年をしあげることである。寄港地と寄港日と船長航海士らの名の記録だけに絞っているのであるが、これが自分ですっきり見通せるように書きたいものである。それがなかなかでき…