2005-06-01から1ヶ月間の記事一覧

大洋丸文献探索>高橋茂記事要約>氷川丸処女航海

○処女航海の氷川丸は米国から横浜、神戸、門司、上海を経て、香港に昭和5年7月12日 未明入港、弁加拉丸が桟橋に、「大洋丸」はブイに繋留していた。ともに日本郵船の船で ある。氷川丸は5月13日に神戸を出てから63日の長旅であった。 (高橋茂 「氷川丸物…

大洋丸文献探索>禅院操六記事要約>東拓社員慰霊祭

○東拓禅院操六が召集解除になって釜山から東京に戻った昭和十七年 七月七日、東京駅に降り立つたところ、偶然にもプラットフォームに 喪服姿の東拓社員が大勢、電車を待っているところに出会い、五月八 日に大洋丸事件で遭難した南方派遣第一陣社員の合同慰…

大洋丸文献探索>大田洋子・黒田米子記事要約>渡支慰問班

○船はいま鳴門海峡を過ぎました。この船は豪華ではなく、 ドイツ人の技術の匂いが直にくるほど、堅牢なものです。 このドイツ人が造った巨船のなかで、ドイツ人の顔いろ などを、食堂などでありありと感じとられます。大洋丸 にて昭和十五年五月二十三日。(…

大洋丸文献探索>二葉あき子記事要約>体操教師相良

○昭和10年、音楽学校を卒業した私はたった一年、故郷の広島で県立 三次高女の音楽の先生をした。双三郡布野村の実家から五里の距離だが、 雪が降るとバスがかよはなくなる。私は学校の近くで下宿生活を始めた。 同じ下宿に相良八重子さんという、オリンピ…

大洋丸文献探索>石垣綾子記事要約>アメリカへ出航

○その頃、飛行機はなく、アメリカに行くのに船で17日かかった。 大正15年の8月、23歳の私は、初めて日本を離れてアメリカに 旅立った。ワシントンの日本大使館づめとなった夫とともに姉が渡米 することになったので、姉一家と共に「大洋丸」に乗り込…

大洋丸文献探索>大河内一雄記事要約>遭難事件以後

> ○拓殖大学出身の河西信慶は、東洋拓殖の本社農林課にいた古参社員で あったが、「大洋丸」遭難事件が東拓にも多大な爪痕を残したあと初代 マニラ支店長としてフィリピンに赴任した。 昭和19年夏、郷里の高松で夫人が死去し、一時帰国したが、 マニラ帰任…

大洋丸文献探索>布哇年鑑記事要約>明大野球部来布

○第四回来征の明治大学野球団、1931年6月27日土曜日日本郵船 「大洋丸」で来征し、7月28日の秩父丸で帰朝、一行来征の目的は、 ボーク問題に関連して阻喪した意気を恢復し甦生を期する為であった。 △監督・松本瀧三△投手・鬼塚格三郎、赤木格、八…

大洋丸文献探索>山本茂記事要約>相良八重の死

(記事要約) ○昭和7年、女子走高跳オリンピック選手としてロサンゼルスに遠征時、 「大洋丸」に乗船した相良八重と、昭和15年に結婚した広島県三次市の 前田嘉市(当時69歳)は、生前ヤンコと呼んでいた愛妻のことを懐かし そうに記者に語った。あなたは、…

大洋丸文献探索>山本茂記事要約>相良八重

(記事要約) ○このシリーズでは作品のなかのヒロインに会って聞いた話を書くのが 原則なのだが、田中英光が池谷賞を受賞した「オリンポスの果実」のヒ ロイン熊本秋子、すなわち走高跳選手相良八重は、広島県三次市の前田 家へ嫁いだが、昭和42年に急死し…

大洋丸文献探索>日本郵船記事要約>桑港航路

(記事要約) ○日本と北米を連絡する航路には北方線と南方線とがあります。北方は横浜より 北東へ、アリューシャン群島に沿って東航、カナダのビクトリア港からシャトル港へ。 30年前日本郵船が創始。定期客船は静岡丸・横浜丸・加賀丸・伊豫丸の四艘です…

大洋丸文献探索>藤波健彰記事要約>藤波帰還

○昭和18年の暮れ、前田利為ボルネオ軍司令官の遺言できたような太平洋戦争 占領地で唯一の文化映画「キナバル山」撮影フィルムを持って私は内地に帰還した。 南方ボケの頭と皮膚は冬の寒さに悲鳴をあげた。二年ぶりの対面で、家内が口に した最初の言葉は…

大洋丸文献探索>野口岩三郎・田中英光記事要約>横浜出航

(記事要約) ○大洋丸はいよいよ船首を港外に向ける。大小のランチが、白波を蹴立てて追ってく る。港外に一旦停まった大洋丸の右舷には、歓送ランチが数隻じっと寄り添って離れ ない。午後四時密航者調べが二等食堂で終わると、直ぐランチは大洋丸と別れね…

大洋丸文献探索>藤波健彰記事要約>吉野丸

○宇品で大洋丸という、その頃日本の客船でもっとも大きな船に乗ることになっていたが、 宇品港に着いて、いざ乗船というときになって船が変更され、昔ヨーロッパ航路で働き、 最近は台湾航路に就航していた吉野丸になった。潜水艦の出没する南シナ海方面に …

大洋丸文献探索>野口岩三郎記事要約>船上競技練習

(記事要約) ○女子陸上、それからスローイング選手(槍及円盤)のために大洋丸の デッキで練習が開かれる。長いロープをつけた槍や円盤を一日十回位の 割で、太平洋目がけて投げ出すが、船客の喝采を博す練習だ。強い陽射 しに、槍の穂先がギラギラと閃いて…

大洋丸文献探索>日本経営史研究所記事要約>太平洋航路

○記事要約 太平洋航路(大正15年基準)サンフランシスコ線(逓信省命令航路) 2週1回・「大洋丸」14458t・天洋丸13402t・春洋丸13039t ・これや丸11810t・さいべりや丸11790t・計5隻 香港→基隆→上海→長崎→神戸→四日市→清…

大洋丸文献探索>日本郵船記事要約>東洋汽船合併

○大正15年5月、日本郵船は東洋汽船との合併で大蔵省より 委託船大洋丸と吉野丸の払下を受け、桑港線の業務を、天洋丸、 春洋丸、これや丸、さいべりや丸、楽洋丸、安洋丸、墨洋丸、 大洋丸で開始した(「日本郵船株式会社五十年史」日本郵船 1935 p…

大洋丸文献探索>和田頴太記事要約>山本五十六帰国

○大正10年5月、ワシントン駐在の山本五十六中佐に、海軍省から 帰国せよとの命令が出された。二年間のアメリカ滞在で、山本が得 たものは大きかった。残念なのはビリー・ミッチェルの爆撃実験の 直前に帰国することである。出来れば自分の目で飛行機による…

大洋丸文献探索>鈴木英記事要約>日曜奇襲

○昭和二年、候補生の時に練習航海で訪れて以来、十四年ぶり に見たオアフ島の姿だったが、内地での準備期間に頭にたたき こんだ写真のおかげで、島影も岬も湾頭も懐かしく思えた。 想像していた以上に警戒は厳重だった。港外には防潜網が用 意され、警戒船が…

大洋丸文献探索>神奈川県警察部ほかの記事要約>震災救援船

○りおん丸他が震災後の2日から8日に、横浜港からの輸送人員は22000人。 海軍が輸送した避難者36898人、便乗者乗船23500人、鉄道省連絡船の乗船人 員は7900人。私設船無料輸送人員として、大洋丸が9月9日、清水港へ 2500人を輸送した。 (「大正大震火災…

大洋丸文献探索>海事新報記事要約>賠償船8隻

○独逸よりの代償船で今日までに受領したものは 総計八隻即ちキャプフインステレ号、クライスト 号、アンスギール号、ビールフエルド号、アンベ ンニア号、メクレンブルヒ号、ノルマニア号、ウ エーゼル号の四七八二九屯、未受領は一三八四一 五屯に決定した…

大洋丸文献探索>大竹虎雄講演要約>大蔵省貸付

●次の講演集は、早大図書館在職中に「大洋丸」記事調査を 「日独」というキーワードで、書名カード目録などを検索していて、 全く偶然に発見したものである。大洋丸が独逸帝国からの賠償船で あるからである。「日独」が書名で先頭に来るカードはそれはそれ…

大洋丸文献探索>藤田三郎記事要約>佐藤惣之助横浜出航

●佐藤惣之助の「大洋丸」乗船は、やはりグーグルの「大洋丸」検索で、 わかったことである。しかし、ネットの記事では出典がわからない。 江東区の図書館にある、佐藤の評伝の中に「大洋丸」を一つ発見出来た。 > ○昭和3年5月13日、川崎の自宅を出発、 …

大洋丸文献探索>西園寺公一記事要約>ヨセミテ会議

●次ぎの記事は、グーグルで「大洋丸」を検索したなかで、 尾崎秀実の獄中日記のなかに、西園寺公一と「大洋丸」に 同室して、太平洋問題調査会に出席するための記事があった。 尾崎の著書の中に「大洋丸」は未発見であるが、西園寺の自伝の方に、 「大洋丸」…

大洋丸文献探索>長尾半平記事要約>大洋丸余興芝居

●次ぎの記事も、私が早大図書館の和書データベースの入力を担当 していた頃、入力図書のなかに、偶然に発見したものである。 長尾半平という人は、逓信省あたりの役人で、確か新渡戸稲造の 評伝のなかに、読んだ記憶ある。この「」世界周遊旅行記である。 >…

大洋丸文献探索>豊島半七記事要約>横浜出航

●次ぎの記事は、私が早大図書館の和書データベースの入力を担当 していた頃、入力図書のなかに、偶然に発見したものである。 豊島半七という人は、名古屋の成功した商人で、この「遊行録」 は自費出版した、自身の世界周遊旅行記である。 > ○昭和4年3月2…

大洋丸文献探索>杉森久英記事要約>島田清次郎

●大洋丸の記事を探している自分の方法を、図書館学の授業 で学生に教えていたことがある。学生に調査テーマを設定させ、 私の調査方法を真似て、各自のテーマで文献を探させ、その調査 レポートを採点していた。自分の生い立ちや、読書を話した なかに、卒業…

大洋丸文献探索>梅野和夫ほかの記事要約>大洋丸真珠湾偵察行

○ハワイ攻撃作戦については連合艦隊の上層指揮官の中にも反対が強かったが、 山本連合艦隊司令長官の強い意向で実施が決定され、昭和16年10月19日、 軍令部総長は正式に決裁を与えた。この決定に先立ち日本海軍は、ハワイ現地 偵察、諜報作戦を実施し…

大洋丸文献探索>牛島秀彦記事要約>吉川猛夫の帰国

●ホノルルに寄港した「大洋丸」に乗船、真珠湾奇襲以前に軍令部からの米軍 動静97箇条質問とその返事を往復したハワイ総領事喜多長雄。ラハイナ港に 米艦隊不在、真珠湾に主力在艦などの返事を徹夜で書いた吉川猛夫。早大図書館 で調べた真珠湾関係書中吉…

大洋丸文献探索>都留重人記事要約>アメリカ留学

●次ぎの都留重人の本のことは、埼玉県桶川市在住の三分一さんから、 「大洋丸」のことが出ているからと、コピーを送ってもらって知った のであった。三分一さんは父上を「大洋丸」雷撃撃沈事件で亡くされ ている。父上は戦前の日本綿花の社員で、戦後の社名…

大洋丸文献探索>ライシャワー記事要約>都留重人に言及

●江東区蔵書を、キーワード「真珠湾」検索したなかに徳岡孝夫「ドロシーくし なしの謎−真珠湾を知っていた女」があった。トーランドJ「真珠湾攻撃」の 訳者も徳岡孝夫。訳者徳岡孝夫に「ライシャワー自伝」がでてきた。戦後日本 占領軍総司令官マッカーサー…