大洋丸文献探索>和田頴太記事要約>山本五十六帰国

○大正10年5月、ワシントン駐在の山本五十六中佐に、海軍省から
帰国せよとの命令が出された。二年間のアメリカ滞在で、山本が得
たものは大きかった。残念なのはビリー・ミッチェルの爆撃実験の
直前に帰国することである。出来れば自分の目で飛行機による軍艦
の爆撃がどのようなものであり、どれほどの威力を発揮するものか
たしかめておきたかった。ワシントンを発った山本五十六は、7月
上旬サンフランシスコで大洋丸に乗船した。
(「真珠湾攻撃その予言者と実行者」 文芸春秋 1986
  p57 和田頴太)

●この本は真珠湾攻撃関係検索で早大図書館を調査していたとき、
発見した。著者が早稲田出身ということもあって、一気に読了。
この57頁の記載、大洋丸山本五十六乗船の記事を、以後山本評
伝を中心に調査を続けてきたが未発見である。10数冊程度なので
まだまだかもしれない。大正10年7月横浜帰着のことは、多いが
大洋丸乗船と明記するのは、この和田本しかない。状況を推測する
大洋丸乗船のことは、明らかであっても「大洋丸」と記していな
くては、この「大洋丸を探して>」文献に入れないことにしている。

山本五十六・大正10年7月・大洋丸乗船のことを明記した文献
単行本では、望み薄い現状なので、一つには雑誌記事索引で、山本
五十六研究論文を探す。著者和田頴太さんに手紙を出して、この
記述のもとになった資料を、教えてもうらうことも一方法である。