2005-08-01から1ヶ月間の記事一覧

大洋丸>広橋百合子

●「広橋百合子」昭和7年5月、大阪市設グランドで行われたオリンピック近畿地区予選会で日本新記録1m48をとんだ。着物姿が普通の時代、短パンをはいて極限に挑戦する姿は、当時の人々には異様に見えたのでしょう。「広橋の娘、あれは男やないか」とまで言わ…

大洋丸>乗船者>東善作

●昭和5年8月31日、東善作、トラベルエア機「東京」号でロサンゼルス〜ニューヨーク(船で大西洋を渡り)ロンドンからシベリア経由で立川に到着。距離18,000km、所要日数42日(「日本航空史昭和前期編」日本航空協会1975 p964)

大洋丸>「大洋丸の航海」概要

○金沢講演資料の一つとして「1頁抄録書誌」作成例である。「大洋丸の航海」(深井人詩著 日本古書通信こつう豆本141 2002 95p)の概要○大洋丸との出会いは田中英光の「オリンポスの果実」、この作品は昭和7年のオリンピック出場した選手たちの物語である。…

大洋丸>東善作>2度の帰国

●「東善作」昭和9年2月10日、桑港よりの「大洋丸」で故国へ飛翔する飛行士東善作(「布哇年鑑1934-35」日布時事社1934 p133) ○この記事で石川県かほく市高松出身の「大洋丸」乗船者であることが判ったので、Googleで「東善作」を検索したところ、この東善作…

大洋丸>東善作

○東善作が「大洋丸」乗船者であることは、早大図書館所蔵「布哇年鑑1934-35」日布時事社1934p133に、昭和9年2月10日、桑港よりの大洋丸で故国へ飛翔する飛行士東善作とあるからであるが、今回この東善作が「「東京号」による帰国飛行の思い出」という一文を…

大洋丸>暁烏敏

●「暁烏敏・加賀松任北安田の僧」昭和8年1月31日、上野駅から電車で横浜桜木町についたのは午前10時半頃だった。直ちに大谷派別院で送別の宴が開かれた。2時「大洋丸」に乗り込んだが、沢山の人が見送られた。中村君がデッキで皆の撮影をしてくれられた。か…

大洋丸>東善作

●1893〜1967 飛行家、日本初のウラン鉱脈発見者。羽咋郡南大海村(現高松町)生まれ。親類の一の宮・西教寺に小僧として預けられ、羽咋高小卒後、朝鮮半島に渡ったものの3年後に帰国、苦学しながら岡山県の私立関西中学を卒業。金沢でアートスミス…

大洋丸>立教野球団

●昭和7年5月27日、桑港よりの「大洋丸」で、昨秋六大学リーグ戦の覇者立教野球団来布(「布哇年鑑1932-33年度」日布時事社1932 p36)

大洋丸>起終点ロス線

●昭和戦前期の主要航路は昭和14年が基準となっている表覧に太平洋航路として、逓信省命令航路として、シャトル線とサンフランシスコ線がある。そのシスコ線には、浅間丸、龍田丸、鎌倉丸、そして大洋丸の4隻、2週に1回の就航である。シスコ線の寄港地をあ…