大洋丸乗船者国枝憲治さん

○私の曾祖父は大東亜戦争が始まって半年後、東シナ海で亡くなりました。南方資源開発の技術者千余名が乗船した大洋丸は、米潜水艦の雷撃で出航後三日で沈められたのです。「いつも父は畳の上では死なんと言っていたのだから、きっと本望だったのよ」と祖母は涙ながらに話してくれました。大洋丸が沈んだ近くの大瀬崎から海を眺めていると、曾祖父の存在が心に大きく迫ってきました。
(「生命の光 658」キリスト聖書塾 2006.8 p26 佐藤誉世夫)
大洋丸の遭難で兄上を亡くした飯田さんのご主人が8月15日に靖国神社に参拝された時に境内でこの「生命の光」8月号をもらったとのことである。飯田さんが別に取り寄せてくださった本誌から佐藤さんの文を要約した。飯田さんは私の「大洋丸の航海」(2002 p86)に亡兄追悼の歌を詠まれている飯田さんである。執筆者佐藤さんの曾祖父とは「大洋丸誌」(1985 p156)によれば、当時の大日本紡績会社の国枝さんであることが、飯田さんからも、直接佐藤さんと電話連絡してわかっている。