2006-04-01から1ヶ月間の記事一覧

坪野哲久>「坪野哲久小説集」4月刊行

グーグルで「坪野哲久」を検索。第5列から9列までの坪野研究者をあげると、 坪野荒雄(哲久子息)、吉田亜希子(「まひる野」歌人)、渥美秀夫(愛媛大教授)など。 志賀町立図書館で生誕100年記念行事として4月「坪野哲久小説集」100部刊行。 古書店…

坪野哲久>内野さんのコメント

グーグルで「坪野哲久」検索4列目の途中で、内野(醍醐)光子さんのブログに出会った。深井編集発行の前誌『書誌調査』現誌『文献探索』の1995,1997,2000年版に3回もご寄稿の内野さん。内野さんに坪野哲久に関する記事があったのである。そ…

坪野哲久>内野光子

坪野哲久と早稲田大学理工学部の関係調査にまだ入れないでいる。『文献探索2005』の 校正が未了だからである。今日は堀込静香さんの登山と旅の写真が指定位置に正しく納まっているかどうか、しきりに心配になるので、田川さんへ指定通りか確認してほしい…

大伴家持>大伴の家と家持の生年

「大伴の家」 祖先の天忍命(あめのおしひのみこと)が天孫降臨の時、先導役をつとめた。やはり祖先の道臣命(みちのおみのみこと)が神武天皇東征の時、先導者となった。伴(とも)の役割であったのである。官にしたがう者の言立(ことだて:誓い)「海行か…

坪野哲久>山本忠興資料

坪野哲久が、昭和15年7月から17年1月まで、早稲田大学理工学部長付書記だったとのことであるが、当時の理工学部長は山本忠興であった。早稲田大学校史資料センター所蔵の個人文庫のなかに山本のものがある。各時代の関係資料が沢山あることがネットで…

坪野哲久>早稲田大学理工学部関係資料

坪野哲久が、早稲田大学理工学部長付書記だった昭和15年7月(2日に大隈講堂前で撮影した裏書きのある写真を調査人森さん所持)から昭和17年1月に止めたという妻山田あきから友人渡辺久次郎[先に山本司と記した誤りを森さんのコメントで訂正]宛の手紙…

大伴家持>万葉集編集年

「天平勝宝5年・万葉集編集年」 「栄華物語」には天平勝宝5年「橘卿諸卿大夫集まりて、万葉集を撰ばせ給」とあることと、巻1・2を原万葉とするのが品田多吉、これに巻11-14も古万葉とするのが賀茂真淵、しかし万葉集は、これら原・古の形の勅撰集とはなら…

坪野哲久>山本忠興理工学部長付書記

坪野哲久は深井の郷里能登志賀町高浜生まれで、昭和46年歌集「碧巌」で読売文学賞受賞の歌人、昭和63年82才で亡くなっている。坪野は北陸の厳しい気候に耐えた気性と、言葉を鋭く鍛え上げて歌を詠み、それには東洋大で学んだ漢詩文が素養となっているという…