大伴家持>万葉集編集年

天平勝宝5年・万葉集編集年」
「栄華物語」には天平勝宝5年「橘卿諸卿大夫集まりて、万葉集を撰ばせ給」とあることと、巻1・2を原万葉とするのが品田多吉、これに巻11-14も古万葉とするのが賀茂真淵、しかし万葉集は、これら原・古の形の勅撰集とはならずに大伴家持の私撰集の形で残されている。その編集時期を考えると、家持が越中から帰る天平勝宝3年8月以降であるが、天平勝宝4年は大仏開眼の年であり、天平勝宝6年4月に家持が少納言から兵部少輔に転任、陸軍省次官にあたる軍事上の重要な役職であるから、文化事業である万葉編集などはできない。すると天平勝宝5年に総編集が行われたと考えられる(「梅原猛著作集12」集英社1982 p767)