2005-07-01から1ヶ月間の記事一覧

大洋丸>石川県関係乗船者

●大正11年4月17日、ベストセラー小説「地上」の印税で、「島田清次郎」が外遊する船は 「大洋丸」である。夫の狂暴な振る舞いで、疲労の極にあった新妻の豊子は、その日が変更しないことを願ったが、彼女の兄は、越中島の高等商船を出た日本郵船の機関士で、…

大洋丸>暁烏敏

●昭和8年1月29日、金沢駅前東洋軒で金沢の方々と茶を飲み、支那そば、酒もくむ。吹雪のなか7時15分発急行に乗車。30日午前7時に上野着。出迎え東京の友人に混じりメーソン氏。午前中武雄が郵船に行き切符を買った。暁烏のは「大洋丸」1等221号室1500円、武雄…

大洋丸>広橋百合子

●東京で規則正しい合宿練習を終え、皆さんの御見送りを受けて「大洋丸」に乗り込みました。船に不慣れな私は、この永い航海を何よりも心配しました。そして刻々と船が故国を離れる時、必勝を胸におさめた私は、一層その思いの切なるものを覚えました。故国で…

大洋丸>暁烏敏

●昭和8年4月11日、横浜よりの「大洋丸」で暁烏敏氏来布。横浜よりの大洋丸で、13年振りに日本ビールが到着した。ビール景気に湧く(「布哇年鑑1934-35」日布時事社 1934 p133)

大洋丸>東善作

●昭和9年4月26日桑港よりの「大洋丸」で故国へ飛躍する飛行士東善作、ユニバーサル社撮影技師三村明氏等寄港。加哇島ワイメア日本人基督教婦人会の函館罹災者慰問品「大洋丸」で積出さる(「布哇年鑑1934-35年度」日布時事社 1934 p38) ○東善作(1893-1967…

大洋丸>吉川猛夫>97項目質問状

●吉川猛夫(「真珠湾スパイの回想−東の風、雨」講談社 1963 p64 97項目質問状) 11月1日、大洋丸から私に持ってきた、軍令部の97項目の質問状には「ハワイの気象条件如何」とあった。私は次のように回答した。「ハワイには、30年来暴風雨なし。オアフ島の北…

大洋丸>鈴木英>上陸断念

●鈴木英(「週刊読売34.24.1389」1975.6.7 p71 上陸断念) 領事館からの直接の電話で、私と前島中佐の二人は決して上陸しないようにとの注意がとどけられた。船員の陸上での行動は、米当局の了解を必要とし、許可を得た以外に立ち寄ることは許されなかった。…

大洋丸>松島慶三>質問書

●松島慶三 (「諜報太平洋戦争」朝日ソノラマ 1985 p138 質問書) 真珠湾攻撃が行われるひと月と8日前の11月1日、ホノルルに入港した郵船の事務長が一人のボーイを伴って総領事館を訪れた。事務長は鈴木少佐であり、ボーイに化けていたのは松尾中尉だ。彼ら…

大洋丸>番外事務員>臨時船

●(二口一雄「豪華客船の航跡」 成山堂書店 1988 p123 番外事務員) 首席事務員であった私が最後の一航海に、着任挨拶もうけなかった番外事務員がいた。航海中も事務室や船客案内所へ立ち寄ることも、食堂に出ないで食事をとっている様子だった。事務長からこ…

大洋丸文献探索>米国事情探索3客船

●(吉川猛夫「東の風、雨」1963 p72 米国事情探索3客船) 1.竜田丸(中島湊海軍少佐・松尾敬宇中尉乗船)昭和16年 10月15日横浜発、23日ホノルル着、30日サンフランシスコ着、2日発、14日横浜帰着。 2.氷川丸(軍令部3部福島栄吉少佐乗船) 10月20横浜…

大洋丸文献探索>遭難顛末書

●(沖義八郎「日本郵船戦時船史資料集下」日本郵船 1971 p289 遭難顛末書) 昭和17年5月8日20時35分傾いていた本船は再び水平になり、また遂に船首を海面に突っ込み逆立ちし始め、海水は近藤輸送指揮官、吉田副官、原田船長、沖等の足下を洗い、相前後して…

大洋丸文献探索>桑港線撤退

●(日本郵船 「七十年史」 日本郵船 1956 p278 桑港線撤退) 昭和14年10月、日本郵船は、桑港線から「大洋丸」を撤退させて、浅間丸型3隻としたが、昭和15年4月、新造船新田丸、次に八幡丸を就航し、5隻で2週1回の定期航海を実施した。 ○この「七十…

大洋丸文献探索>萩原井泉水来布

●(「布哇年鑑1939年度」 日布時事社 1938 p36-48) 昭和12年4月3日、横浜よりの大洋丸で日本のデ杯選手山岸二郎、中野文照、新傾向俳句の萩原井泉水氏來布。6月29日、桑港よりの「大洋丸」で日本行観光団13組寄港。8月9日、横浜よりの「大洋丸」で近…

大洋丸文献探索>神道研究家メーソン

●(「日布時事「布哇年鑑1934-35年度」1934 p27-133 神道研究家メーソン) 昭和8年4月11日、横浜よりの「大洋丸」で暁烏敏氏来布。、横浜よりの「大洋丸」で、13年振りに日本ビールが到着した。ビール景気に湧く。10月25日、桑港よりの「大洋丸」で日本労…

大洋丸文献探索>ロサンぜルス大会行2陣

●(清川正二「日本体育協会五十年史」 日本体育協会1963p284ロサンゼルス大会行2陣) 第十回大会への参加選手は二つに分かれ、第1陣の岸清一会長以下17名の役員と陸上競技、水泳の男子48名が6月23日横浜出航の竜田丸で出発、7月9日ロサンゼルス到…

大洋丸文献探索>野口岩三郎記事要約>大洋丸ドイツ式諸設備

○大洋丸船内の諸設備は独逸式のもの多く、洗面台とか、便所などのスケールが 大きく、どうも日本人には少し高く感じられる。なお、この船で著しいのは、 キャビンからキャビンへ、ドアによって全部通じる仕組みになっている事である。 聞くところによると、…

大洋丸文献探索>二口一雄記事要約>ハワイ偵察報告書

○「大洋丸」一航海の報告は「ハワイ方面偵察報告 海軍中佐前島寿英 海軍少佐鈴木英 昭和16年11月17日」として海軍専用の罫紙26枚にまとめられた。航空関係、空母所在真珠湾周辺の海水透明度、防潜網の伸張状況、米艦隊の動静、北太平洋の気象を網羅…

大洋丸文献探索>佐藤和正記事要約>松尾敬宇中尉

○連合艦隊では、真珠湾奇襲攻撃が実現性を帯びてくるに伴い、どうしても 現地を直接偵察しておく必要性が生じてきた。そこで、潜水艦の専門家である 前島寿英中佐、航空の鈴木英少佐、特殊潜航艇の松尾敬宇中尉がえらばれた。 鈴木少佐は、鈴木貫太郎海軍大…

大洋丸文献探索>(「毎日新聞42073号」>大洋丸会総会

○大洋丸撃沈事件の生存者、遺族らで作る大洋丸会の第16会総会が平成5月8日千代田 区内で開かれ関係者24人が出席した。同会は1978(昭53)年、埋もれていた撃沈事件の記録を残そうと発足した。世話人の一人佐藤さんはドイツで建造された大洋丸の…

大洋丸文献探索>日本郵船記事要約>ロケ途上の岡田時彦ら

○昭和7年3月31日、映画「アメリカ」航路ロケーションのため横浜出帆「大洋丸」便 で神戸まで渡航の不二映画のスター岡田時彦氏と高田稔氏。「大洋丸」で来朝の米国 名優ロナルド・コールマン氏。(「海の旅7.1」日本郵船 1932.5 p16) > ●この水村さん寄…

大洋丸文献探索>三等船客記事要約>三等船客感謝状

○昭和6年12月12日、大洋丸後部3等船客一同から大洋丸事務長殿へ感謝状、 今般貴社汽船「大洋丸」東行便乗の際、従前乗船せしに勝る取り扱い上の優待 なること、卓上食物の美味清潔、室内掃除浴室などの注意怠りなく、係り司厨 事の見廻り注意など、何ひと…

大洋丸文献探索>日本郵船記事要約>米水泳チーム

○昭和6年7月、全世界の視聴を集めたる日米水上対抗競技に出場の ため大洋丸便にて来朝せる米国チーム大洋丸デッキに並ぶ米国チーム 水泳パンツ姿13人が並んでいる。 (「海の旅 6.4」 日本郵船 1931.10 p11) ●この「海の旅」という日本郵船が発行していた…

大洋丸文献探索>佐藤祐弘記事要約>杉田一家神戸港出帆

○「大洋丸」のフィルムを保存していたのは鎌倉市の杉田操さん(70)。 昭和6年と翌年の4月、税関職員だった父の勤務先上海へ向け、 杉田さん一家が大洋丸で神戸港から出帆する時の様子を、知人 のカメラマンが16ミリで撮影したもの。残っているのは約5分…

大洋丸文献探索>二口一雄記事要約>二口一雄二度避難

○私の乗った「大洋丸」は昭和16年10月20日神戸港、21日横浜港を 発ってホノルルに向かった。往航に日本からの外人引揚者310人、復航に 邦人帰国者447人を乗船した。11月1日にホノルル着、5日に出帆した。 そのパール・ハーバーを12月8…