大洋丸>東善作

昭和9年4月26日桑港よりの「大洋丸」で故国へ飛躍する飛行士東善作、ユニバーサル社撮影技師三村明氏等寄港。加哇島ワイメア日本人基督教婦人会の函館罹災者慰問品「大洋丸」で積出さる(「布哇年鑑1934-35年度」日布時事社 1934 p38)
東善作(1893-1967)は、羽咋市歴史民俗史料館(google)によれば(M26)羽咋郡南大海村中沼(かほく市中沼町)生。一の宮羽咋小学校、役場給仕、朝鮮、京都中学、岡山県関西中学(車夫となり学費を稼ぐ)、北国新聞記者、金沢で飛行機曲芸を見、飛行士を志望、渡米、(T5)23才オークランドのデュランド飛行学校、(T9)クラーク水上飛行学校、(T10)クーパー高等飛行学校(国際高等ライセンス取得)、(T12)関東大震災に際しては、ロサンゼルス市上空からビラをまいて、日本救援を呼びかけた。 (S5)日本人初のアメリカ・ヨーロッパ・アジアの三大陸横断飛行に自費で挑戦、無事に立川飛行場に降り立った。(S30)ウラン鉱として有名な人形峠(岡山・鳥取の県境)を発見。(S32)ウラン鉱業を設立したが、(S42)74歳で没した。