2007-08-01から1ヶ月間の記事一覧

賠償船大洋丸を最初に見た日本人

○大洋丸は日本に引き渡されて大洋丸となったが、そのハンブルグ港内に他のドイツの商船2,30隻とともに空しく浮かんでいた。(「凡愚問答」 角川新書61 1955 p105 辰野隆) *この本は大森一彦さんから知らされた。辰野隆は寺田寅彦と親交があり「人物書…

大洋丸の原名は Kap Finisterre

小山さん>大洋丸の元の名は Kap finstere (暗黒岬)と言われていますが。深井>そうですね。でもそれは、間違いです。大洋丸遺族会編集の『大洋丸誌』昭和60年12月発行p109にも「KAP FINSTER」これは日本語で「暗黒岬」または「地獄岬」…

フィニステレ岬沖を行く「深海の使者」

小山さん>ドイツ移民船の船名に、なぜスペインの岬名をつけたのでしょう。深井>ハンブルグ出航後、祖国独逸帝国の富国強兵政策により南米ラプラタの河口に直行させられる独逸移民たちの目には欧州大陸の陸影が望見されるのは、わずかにこの岬だからだろう…

大洋丸は戦勝国日本への独逸賠償船

小山さんが、また尋ねる。 大洋丸ってドイツ船だそうですね。答える。 ○第一次世界大戦中 現在の中国チンタオ(青島)の独逸経営市街を 日本が漁夫の利を占めて攻略(参戦決定は大隈第2次内閣) 戦勝国となって独逸帝国より全賠償額の0.75パーセントを…

大洋丸乗船者、相良八重

小山さんが尋ねてくる。 残念ながらまだ「オリンポスの果実」の女主人公のモデル相良八重の 写真は入手できていませんが。 答える。 (1)「サンデー毎日 第58巻第24号」1979年6月3日発行 p137タテ19cmヨコ5cm:一人だけ写真一杯の立…