2005-10-01から1ヶ月間の記事一覧

大洋丸>「布哇年鑑1934-35」掲載乗船者

●引き続き「布哇年鑑1934-35」より、日本郵船太平洋航路船関係記事を抄録する。 「昭和8年10月15日」新渡戸稲造博士カナダ・ビクトリアで客死の悲報達す。 「昭和8年10月25日」桑港よりの大洋丸で日本労働組合連合委員長坂本孝三郎氏や南米に遠征した日本陸…

大洋丸>太平洋船艙寄港

●引き続き「布哇年鑑」より、日本郵船太平洋航路船の動向を抄録する。 「昭和8年6月13日」桑港よりの浅間丸で瑞典皇族カール殿下御寄港。 「昭和8年9月16日」桑港よりの龍田丸で支那通の佐藤安之助少将、鶏雌雄鑑別法の山口得三、高橋広治氏等寄港。 「昭和8…

大洋丸>ホノルル寄港日本郵船

●引き続き「布哇年鑑」より、日本郵船太平洋航路船の動向を抄録する。 「昭和8年2月9日」横浜よりの大洋丸で暁烏敏氏来布。 「昭和8年4月11日」横浜よりの大洋丸で13年振りに日本ビール到着 ビール景気に湧く。 「昭和8年5月11日」国際経済会議帝国全権石井…

大洋丸>講演会案内

○活字離れといはれる今日、自分の調査テーマをもって、 文献探索をしようとする人たちのために、 ながらく調査を続けてきた深井の大洋丸物語を、 参考までに、お話したいと考えました。○明10月23日(日)午後2−4時 大洋丸物語(文献探索研究会・無料講…

大洋丸>キーワード新渡戸稲造検索<江東区蔵書

○横田順弥「探書記」p125ほかの新渡戸稲造伝記類の案内で、江東区蔵書をネット検索、石井満「新渡戸稲造」、松隈俊子「新渡戸稲造」、佐藤全弘「新渡戸稲造生涯と思想」、須知徳平「新渡戸稲造の生涯」の4冊のほか、昭和女子大「近代文学研究叢書35」、杉森…

大洋丸>乗船者名簿昭和12年10月<日本郵船

○坂本さんが「日本の古本屋」で見つけ知らせてくれて、深井が長崎県諫早市の「あーる書房」から購入した「大洋丸第62次復航」(昭和12年10月4日羅府発26日神戸着)の「御乗船記念芳名録 日本郵船株式会社」に、どれだけの乗船者があったか、とりあえず概要を…

○引続き太平洋航路の日本郵船の出船入船の乗船者を抄録する。●「布哇年鑑1933-1934」より。 「昭和7年1月29日」横浜よりの秩父丸で有名な東京帝大、塩田広重博士寄港、桑港よりの春洋丸では英学者市川三喜博士寄港(p23) 「昭和7年2月16日」桑港よりの秩父丸…

○坂本さんは、大洋丸関係記事のある「ラメール 母」小中陽太郎著をどこでみつけたかという問いに、小中は東京大学仏文科卒。彼の恩師、渡辺一夫(1901-1975)に関する文章を探していて、小中の著者を見付けたという。引続き太平洋航路・日本郵船乗船者を「布…

大洋丸>日本郵船所属船乗船者<布哇年鑑

○引続き太平洋航路・日本郵船乗船者を「布哇年鑑」より摘録する。●「昭和7年5月19日」横浜よりの「浅間丸」でオリンピック日本馬術選手一行寄港。●「昭和7年5月27日」桑港よりの「大洋丸」で昨秋六大学リーグ戦の覇者立教野球団来布。

大洋丸>乗船者<布哇年鑑

○「大洋丸」に深井は、田中英光の「オリンポスの果実」によって、初めて出会った。昭和7年のロサンゼルス・オリンピックに出場する第2陣の選手たちを乗せて行く船としてである。「布哇年鑑」は「大洋丸」乗船者を最も多く教えてくれた文献である。それでこ…

大洋丸>山本五十六<反町栄一

●「山本五十六の盆舞」大正8年5月20日、郵船の諏訪丸で山本五十六は米国ボストン駐在のため横浜を出発した。米国国情研究のためであった。船内で演芸会があったが、日本人で誰も出場者がいない。するとこれにたまりかねてか、一人の颯爽とした日本青年が、現…

大洋丸>遠洋汽船船賃<布哇年鑑1929年度版

●「遠洋汽船船賃」ホノルル港より各地への汽船船賃以下の如し。日本郵船会社(ホノルル出張所、マーチャント街)所属船 本航路は大洋丸、天洋丸、春洋丸、コレヤ丸、サイベリア丸ホノルル横浜間(片道)1等 232ドル 大洋丸 天洋丸 春洋丸1等 161ドル…

大洋丸>松尾敬宇<GOO 大洋丸

◎1941年10月20日、原田敬助船長の指揮下に真珠湾で情報収集任務に従事する大本営海軍部参謀鈴木英少佐、潜水学校教官前島寿英中佐、潜水隊付松尾敬宇中尉を乗せて横浜出航後千島列島方面を迂回して11月1日ホノルル入港5日夜、ハワイ在留邦人、日系2世147名を…

大洋丸>素馨の花<橋本徳寿

●灯火管制で細い光一と筋船窓からささいな真黒な大洋丸の船窓が一時にぱっとあかくなった。電灯であろうか、機関部はやられていないのだから、発電機は故障していないわけだ。あるいは船室に火がまわったのであろうか。いづれにしてもそれは命終の直前の一燦…

大洋丸>橋本徳寿

●昭和17年5月8日の日の落ちきる少し前、大洋丸に敵潜水艦からの魚雷3発が命中し、大洋丸は間もなく闇の海に沈んだ。乗員1500人のうち500名が助けられ、私もその一人だった。東京に還され、東京を再出発したのが7月13日、宇品を出帆したのが17日、今度は昭浦…