大洋丸>橋本徳寿

昭和17年5月8日の日の落ちきる少し前、大洋丸に敵潜水艦からの魚雷3発が命中し、大洋丸は間もなく闇の海に沈んだ。乗員1500人のうち500名が助けられ、私もその一人だった。東京に還され、東京を再出発したのが7月13日、宇品を出帆したのが17日、今度は昭浦丸という6800トンの貨物船であった。潜水艦に襲われたりして、決して安らかな航海ではなかったが、8月7日に昭南(シンガポール)港に入港した。私は民間人として渡南した。南方で輸送船や漁船を無数に建造しようと思った。馬来軍政部海運科に行くと、私の著書「木造船と其の艤装」を唯一の宝典として、全南方に配布し150トンから250トンの輸送船建造に必死であった(「天草日記」熊本県本渡市・本渡諏訪神社社務所1974 p77 橋本徳寿)