大洋丸>金子誠一

●「乗船者金子誠一」「大洋丸」は昭和17年5月5日、南方占領地の経済開発に、一流企業から選抜された1360人を乗せ宇品港を出航、8日午後7時45分長崎県男女群島沖で、米潜水艦発射の魚雷4発が命中し大火災となり撃沈。817名が死去、543名が救助された。岳父金子誠一は当時熱帯文化協会理事で、台湾拓殖・古河鉱業に所属、南方における功績が認められ軍命令に応じたのであった。当日は米軍死守のコレヒドール陥落で、午後6時半1等船客食堂で祝宴があり、その直後の惨事であった。岳父は佐渡育ち、荒海で鍛えた水泳の名手、酒さえ入っていなければ波にさらわれることはなかったろうと思われる(「水口敏之遺稿・回想集」新風舎1999 p231)