大洋丸>番外事務員>臨時船

●(二口一雄「豪華客船の航跡」 成山堂書店 1988 p123 番外事務員)
首席事務員であった私が最後の一航海に、着任挨拶もうけなかった番外事務員がいた。航海中も事務室や船客案内所へ立ち寄ることも、食堂に出ないで食事をとっている様子だった。事務長からこの人、この件には触れるなと厳命されていたのである。
●(二口一雄「豪華客船のドラと共に」 中之島プリント 1985 p247 臨時船)
私は新田丸で無事3等事務員を卒業でき、いよいよ首席事務員に昇格した。そしてシャトル航路の平安丸へ神戸で乗船、ところが、急に「社命下船、大洋丸へ転船」の指示が来た。引き継ぎは無く10月11日下船、横浜へ東海道線で陸行、10月15日大洋丸に乗船したが、こんな配乗指示は前例がない。ホノルルへの入出港・税関・移民官などの関係事務を、私の新田丸での最新経験でこなせと、ただ一人引き抜かれて転船したのだった。事務室の他の全員はアメリカ航路を知らない者ばかり、船は政府の徴用船であるので、社旗は掲揚せず、煙突の二引のマーク、白地に赤二線引きのファンネル・マークも、黒色に塗沫、特殊な配船との空気は、船内に満ち満ちている。私自身これがまさか太平洋戦争への最後の配船だとは夢にも思わなかった。臨時船大洋丸は、米国への帰国者447名を乗せ横浜を出港。ホノルルで乗客全員を降ろし、下船者は米国船でシスコ、ロスへ送られた。大洋丸はホノルルへ11月1日到着し、11月5出帆したが、帰路は日本への帰国者301名を乗せていた。