大洋丸文献探索>佐藤和正記事要約>松尾敬宇中尉

連合艦隊では、真珠湾奇襲攻撃が実現性を帯びてくるに伴い、どうしても
現地を直接偵察しておく必要性が生じてきた。そこで、潜水艦の専門家である
前島寿英中佐、航空の鈴木英少佐、特殊潜航艇の松尾敬宇中尉がえらばれた。
鈴木少佐は、鈴木貫太郎海軍大将(終戦内閣の首相)の弟である鈴木孝雄陸軍
大将の子息である。三人は、日本在住の米国人と、ハワイ在住の日本人を交換
輸送することになった日本郵船の貨客船「大洋丸」に、前島は船医助手に、
鈴木と松尾は郵船本社の派遣事務員として乗り込んだ。「大洋丸」は昭和16年
10月22日午後3時15分、横浜大桟橋から出航した。
(「太平洋海戦1進攻篇」 講談社 1988 p61 佐藤和正)

●「大洋丸」乗船の真珠湾偵察者を、この記事は3名としているが、鈴木英
自身の週刊誌に語った記事では、前島と二人になっている。また別の記事では、
松尾は中島湊中佐と龍田丸でホノルルを偵察したことになっている。松尾が
特殊潜航艇で当初は真珠湾攻撃に参加することになっていたのが「大洋丸」の
横浜帰着が遅れたたため、シドニー攻撃にまわされたという記事は多い。
これまでは真珠湾奇襲をめぐる記事のなかで、この「大洋丸」乗船が2人だった
のか、3人だったのかは、はっきりしない。

◎この真珠湾偵察行の記事のなかで、もっとも信憑性のある記事はどれかとなると
どれも伝聞や想像、想像でないまでも、依拠する文献が太平洋戦争全体の一部で
ある場合が多く、細部はつじつまがあわなくなると、つじつまがあうように捏造
されていることがある。今後見ることができればと期待されるのは、二口一雄
「豪華客船の航跡」1988 p125にある「ハワイ方面偵察報告、海軍中佐前島寿英、
海軍少佐鈴木英」という表題の罫紙26枚にびっしり書かれているという文書で
ある。二口はこの文書がどこにあって、どうして見ることが出来たかを書いては
いない。