大伴家持>大伴の家と家持の生年

「大伴の家」
祖先の天忍命(あめのおしひのみこと)が天孫降臨の時、先導役をつとめた。やはり祖先の道臣命(みちのおみのみこと)が神武天皇東征の時、先導者となった。伴(とも)の役割であったのである。官にしたがう者の言立(ことだて:誓い)「海行かば水浸く屍山ゆかば草生す屍大君の辺にこそ死なめ顧みはせじ」(巻18-4094)は天皇に奉仕する決意である。
壬申の乱天武元年672)祖父安麻呂が大将軍として活躍、功臣として大納言となる。安麻呂の子旅人54才の時、大伴家持は養老2年(718)生れる。この根拠は「公卿補任」に天応元年(781)64才とあるによる逆算である。「大伴系図」でも延暦4年(785)に68才で死去とあり、養老2年に生まれたと推定できる(「大伴家持1佐保の貴公子」1994p24中西進