坪野哲久>山本忠興資料

坪野哲久が、昭和15年7月から17年1月まで、早稲田大学理工学部長付書記だったとのことであるが、当時の理工学部長は山本忠興であった。早稲田大学校史資料センター所蔵の個人文庫のなかに山本のものがある。各時代の関係資料が沢山あることがネットでわかる。そのネット上の山本忠興文庫の解説は次ぎのようである。
「山本忠興(1881−1951年)は,1905年に東京帝国大学を卒業,欧米留学から帰国した1912年に早稲田大学に招かれ,電気工学科教務主任,また理工学部長として後進を育てた。この間,競走部や野球部の部長,体育会長,さらにはオリンピック役員として,早稲田大学のみならず日本のスポーツの振興につくす一方,早稲田国際学院や国際基督教大学の設立に関わるなど敬虔なクリスチャンとしても多彩な活動を繰り広げた」