大洋丸>東善作

●1893〜1967 飛行家、日本初のウラン鉱脈発見者。羽咋郡南大海村(現高松町)生まれ。親類の一の宮西教寺に小僧として預けられ、羽咋高小卒後、朝鮮半島に渡ったものの3年後に帰国、苦学しながら岡山県の私立関西中学を卒業。金沢でアートスミスの宙返り飛行を見て渡米、大正5年(1916)から働きながら民間飛行学校に通い、第1次大戦が起こると米国陸軍航空学校に入隊、志願して操縦士となった。除隊後、遊覧飛行を開業。リンドバーグの大西洋横断飛行に刺激されて昭和5年(1930)中古機を買ってロサンゼルス空港を発ってアメリカ、ヨーロッパ、シベリア大陸を横断して立川飛行場に着陸し、世界中をアッと言わせた。故郷の上空にも飛来して人々を喜ばせた。戦後はウラン鉱業会社を作り、岡山、鳥取県境の人形峠でわが国で初めてウラン鉱脈を発見したのは有名。関西中学同級の元経団連会長・土光敏夫が「日本男児中の男児」と激賞した。