大洋丸文献探索>神奈川県警察部ほかの記事要約>震災救援船

○りおん丸他が震災後の2日から8日に、横浜港からの輸送人員は22000人。
海軍が輸送した避難者36898人、便乗者乗船23500人、鉄道省連絡船の乗船人
員は7900人。私設船無料輸送人員として、大洋丸が9月9日、清水港へ
2500人を輸送した。
(「大正大震火災誌」 神奈川県警察部 1926 p471)

大洋丸は、北米から横浜に急行、罹災民清水行2550名、神戸行250名、
計2800名を搭載して、9日横浜発、両地にて罹災民を陸揚し、17日再び横浜
に帰港。焼跡桟橋に繋留、更に罹災民清水行及神戸行2273名を搭載して、
20日横浜を出航、震災後桟橋に繋留した第一船である。横浜港は、
震災のため荷役不能となったので、大洋丸は、北米積横浜揚貨物は全部、
神戸にて陸揚。25日神戸を出航、15日を経て、北米航路に就航した。
(「横浜市震災誌4」 横浜市役所 1927 p373)

日本郵船社員及び会員属員の家族は9月15、16日頃横浜発の大洋丸で神戸
に輸送し、社費で、当分住居生活の途を講ずるから、至急横浜港停泊中の
これや丸に来船のこと。ただし東京横浜方面の社員と事情ある者はその限り
にあらず。これや丸の出航は、新山下埋立地グランドホテル横かイギリス
波止場である。日本郵船社告。
(「東京日日新聞 16878」 1923.9.16d p4)

○9日、北米から急行した大洋丸は、清水行避難者2550人、神戸行250人、
合計2800人を乗船し、9日横浜を出港し、17日には再び横浜に帰港し、
さらに清水行避難者1828人、神戸行445人、合計2273人を乗船、横浜港を
出港した。
(「海事参考年鑑 大正13年版」 有終会 1924 p260)

●「大正大震火災誌」「横浜市震災誌4」は、吉良さんから複写・受贈の
資料である。吉良さんは早大文学部の助手当時南京事件ほかで著名だった
洞教授と共に、早大図書館へ調査のためよく入庫だった。吉良さんを横浜
開港記念館在職中に私が世話人だった書誌研究会会員とともに訪ね、展示
資料を解説していただいたこともある。吉良さんはのちに、日本女子大学
の教授になられた。「東京日日新聞 第16878号」「海事参考年鑑
大正13年版」は早大図書館所蔵。いずれも関東大震災のときに大洋丸は、
どこにどうしていたのであろうかと思って調査した時に発見した。
新聞は戦前の縮刷版、「海事参考年鑑」は書名も珍しいが、早大図書館には
大正13年版しかないが、どのくらい刊行されたものであろうか。
内容は充実して、海事調査に有用である。