大洋丸文献探索>大田洋子・黒田米子記事要約>渡支慰問班

○船はいま鳴門海峡を過ぎました。この船は豪華ではなく、
ドイツ人の技術の匂いが直にくるほど、堅牢なものです。
このドイツ人が造った巨船のなかで、ドイツ人の顔いろ
などを、食堂などでありありと感じとられます。大洋丸
にて昭和十五年五月二十三日。(大田洋子「輝ク85」
1940 渡支慰問班出航)

大洋丸が今上海の波止場につくところ、二十五日の午後
七時です。船は四国沖九州の南を過ぎて平安に一路西行
ました。呉淞馬頭辺から日本の兵隊さんが手を振って迎え
てくださるのに涙ぐまれます。大洋丸にて昭和15年5月
25日夕大洋丸にて。(黒田米子「輝ク85」1940 
p1 渡支慰問班上海着)