大洋丸文献探索>牛島秀彦記事要約>吉川猛夫の帰国

●ホノルルに寄港した「大洋丸」に乗船、真珠湾奇襲以前に軍令部からの米軍
動静97箇条質問とその返事を往復したハワイ総領事喜多長雄。ラハイナ港に
米艦隊不在、真珠湾に主力在艦などの返事を徹夜で書いた吉川猛夫。早大図書館
で調べた真珠湾関係書中吉川の「東の風、雨」にある、それらは私の「大洋丸
航海」のp54に紹介したが、開戦後二人のスパイはどうなっていたのだろうか。

○太平洋米軍艦隊を偵察して、日本帝国海軍の奇襲を成功させた吉川猛夫は、翌
昭和17年の8月15日に、米国ローレンソマルケス経由の交換船浅間丸で、
アリゾナ収容所からニューヨークを経て帰国した。横浜から軍令部の上司へ、
帰国報告に行ったが、軍令部の空気はまるで変わっていた。緒戦の連戦連勝から
日本軍は、その6月のミッドウエイ海戦で大敗すると、戦局は一転したが、軍は
その敗戦を国民に隠したばかりでなく、逆に軍艦マーチ入りで大勝利と公表する
ありさま。真珠湾攻撃の陰の功労者を厚遇するゆとりはなかった。ところが同じ
交換船で一緒に帰国した喜多長雄元ハワイ総領事は、君、僕と一緒に満州か中国
に赴任しないかね、と誘った。
(「ドキュメンタリー真珠湾」 時事通信社 1976 p57 牛島秀彦)