大洋丸文献探索>藤波健彰記事要約>藤波帰還

○昭和18年の暮れ、前田利為ボルネオ軍司令官の遺言できたような太平洋戦争
占領地で唯一の文化映画「キナバル山」撮影フィルムを持って私は内地に帰還した。
南方ボケの頭と皮膚は冬の寒さに悲鳴をあげた。二年ぶりの対面で、家内が口に
した最初の言葉は、五島列島沖で起こった「大洋丸」撃沈で「大洋丸」に私が乗り
込んでいたとばかり思っていたので、仏壇に写真を飾り、毎朝夕お経をあげていま
したとのことだった。戦時下の家庭に、こんな話は幾らもあったろう。
(「ニュースカメラマン」  中央公論社 1980 p252 藤波健彰)
●前田総司令官は加賀藩主の末裔、司令官が飛行機事故で亡くなったあと、その
遺志を継いで組織された撮影隊が、苦心の末に制作したこの映画は、東京で現像
編集された現地に送られたあと引き揚げの際消却さて、現地の人と映画社での
試写のあと、都内に隠匿された直後に直撃被弾、すべてが無にきしたとおもわれた
が30年後京橋のフィルムライブラリーで再発見されるという奇跡が起こった。