大洋丸文献探索>日本郵船記事要約>桑港航路

(記事要約)
○日本と北米を連絡する航路には北方線と南方線とがあります。北方は横浜より
北東へ、アリューシャン群島に沿って東航、カナダのビクトリア港からシャトル港へ。
30年前日本郵船が創始。定期客船は静岡丸・横浜丸・加賀丸・伊豫丸の四艘です。
南方航路は横浜より東南に9日でホノルルに、5日で桑港に達する所謂桑港航路です。
気候温暖な太平洋上の楽園ホノルル経由で愉快な航海ができます。永年東洋汽船の
経営でしたが、大正15年春日本郵船の経営となり、当社はここに南北二航路を経営
します。日本一の巨船「大洋丸」・天洋丸・春洋丸・これや丸・さいべりや丸の五艘で、
今回特に三等客室は従来のカンバスベットにかえカーテン、枕・布団・毛布付木造船床
を新設、乗客定員を半減したのでゆったりしました。この改造は多大の賞賛を博し、
香港の一流支那新聞はみな称揚しております。なお各船共、一・二等客室、談話室、
図書室、喫煙室、食堂、遊歩甲板、水泳場、運動室など、その設備の完備、優秀は
いまさらくだくだしく絮説いたしません。
(「桑港航路案内」 日本郵船 1927 p1)
(入手経緯)
●これも「日本郵船」をキーワードに検索、早大図書館で発見した折り畳み本物の
旅行案内である。このようなものを整理・所蔵してきた先輩館員に御礼申し上げたい。
このような品の所蔵に努めている横浜・海岸通りにある日本郵船歴史博物館が聞けば
驚くに違いない。博物館がまだ資料館といっていた、海側に入り口がある建物を開設
したばかりの頃、「豪華客船の航跡」の著者二口一雄さんにお住まいの大和郡山市
お会いしたとき、日本郵船にそれまで大事に保存していた船員手帳を資料館をつくる
からと要請されされ寄贈したと、聞いたことがあった。
(今後調査)
日本郵船歴史資料館の金澤寛治館長さん時代に、私も所持していた大洋丸のメニュ
ーを寄贈したことがある。第十回ロサンゼルス・オリンピック開催年の9月の4日間の
メニューで、日光東照宮や梅に鶯などの日本画和紙に毎日の日付入りで印刷されていた。
メニューは田中英光の研究家西村賢太さんから田中英光の未発見記事掲載雑誌と引き
替えに譲ってもらったものである。それにしても手元の収集資料のなかには、再見すれ
ばまだまだその価値を再発見できる資料が多くなっているのではないか。二口さんの
「豪華客船の航跡」巻末の参考資料リストも今改めて見てみると、未見のものがある。
藤崎康夫「航跡」は未見だと思って江東区蔵書を検索、あったのでネット予約したら、
「航跡」を書名・副書名とするもののなかに、「KEIO号の航跡」はロス大会出場
号ではなかったか。「写真で見る世界の商船」の著者木俣滋郎は大洋丸を撃沈した米潜
グレナダ号記事が詳しかったではないか。「陽炎型駆逐艦」は戦艦大和沖縄特攻の時、
大洋丸調査のきっかけの一つに数えている中学英語教師山下先生乗船駆逐艦も陽炎型
ではなかったかと推測して、以上3冊を追加予約する。