大洋丸文献探索>野口岩三郎・田中英光記事要約>横浜出航

(記事要約)
大洋丸はいよいよ船首を港外に向ける。大小のランチが、白波を蹴立てて追ってく
る。港外に一旦停まった大洋丸の右舷には、歓送ランチが数隻じっと寄り添って離れ
ない。午後四時密航者調べが二等食堂で終わると、直ぐランチは大洋丸と別れねば
ならなかった。ランチは船首を変えて大きく右に迂回すると同時に、大洋丸も揺るぎ
出した。刻々双方の間には紺碧の海が拡がって行く。一帯の市街と、房州、三浦半
島が淡青色に見えだした。大洋丸に乗り込んだ女子陸上・競泳・飛込・水球・漕艇・
拳闘・レスリング・ホッケー・体操・芸術競技の選手役員は、百六名という大チー
ムである。大洋丸の船客収容量は九五五であるが、満員になったことはないそうだ。
そして今度ほど多数の船客が乗船したことは、この船始まって以来のことである。
(「第十回オリムピック大会報告」 三省堂発売 1933 p305 野口岩三郎)
(調査経緯)
●この時の乗船を、漕艇選手田中英光の文章から要約する。
(記事要約)
○中学、学院の諸先生、友人、後輩連もきてくれました。銅鑼が鳴ってから僕がなく
した選手の制服を届けに、兄が人波をかきわけて登ってきてくれました。波止場の人
混みに押しつぶされそうになりながら、手巾を振っている母の姿を見たときは、目頭
が熱くなりました。ぼくは、買ってきてくれたテープを抛りましたが、なかなか母に
とどきません。ぼくの家の下宿人が、母に渡してくれました。少しヒステリイ気味の
母は、テープを握り、しゃくりあげるように泣いていました。肉親と男友達の情愛に
見送られているぼくは幸福には違いありませんが、娘さんが一人交じっていて、欲し
かった。その淋しい気持ちは、出帆してからも続きました。(「オリンホスの果実」
 鎌倉文庫 1946 p22 田中英光