大洋丸文献探索>石垣綾子記事要約>アメリカへ出航

○その頃、飛行機はなく、アメリカに行くのに船で17日かかった。
大正15年の8月、23歳の私は、初めて日本を離れてアメリカに
旅立った。ワシントンの日本大使館づめとなった夫とともに姉が渡米
することになったので、姉一家と共に「大洋丸」に乗り込んだ。
大洋丸」は当時としては大きな船だったが、豪華船というにはほど
遠かった。(「太陽95」講談社 1971.5 p67 石垣綾子

●石垣は、コーヒーのモーニング・サービスに喜んだり、台風で荒れ
狂う怒濤に痛快を感じたり、アメリカの男性に誘われて躍ったダンスで
姉に、場所柄をわきまえないと、叱られたりする。また催し物の映画や
船員たちがやってみせる素人芝居に、勤務のゆとりを感じたりする。
当時彼女は早稲田の聴講生で、青柳優という後年作家・評論家になる
青年と婚約していたが、アメリカに去って25年、戦後に帰国した。

大洋丸平時乗船者で留学が都留重人、会議出席が西園公一・尾崎秀実、
用務帰国が山本五十六・須磨弥吉郎、外遊長尾半平・豊島半七などなど、
数えれば石垣がいう、飛行機がなく、アメリカへ行くのに17日かかって
行く船旅は、エリートたちが利用するものであったのであろう。
残された乗船の記録は、庶民のものではないだけに、大正中期から昭和
初期にかけての、日本のある階級の動向を示しているといえる。