大伴家持>藤原一族への敵対心

現在の志賀町を囲むようにして詠われ、残された能登の歌4首、大伴家持天平20年748年「出挙」の「当時当所にて属目の」情景の歌は、謎の問いかけを私に投げかけてくる。妹にあわず久しくなりぬとか、楫とる間なく都し思ほゆの「思い」は、単純に奈良の宮廷生活への切ない思いとだけはおもわれない。30歳の家持の越中国守としての立場、聖武天皇の大仏造営にかける願望、大伴氏の中心人物として対立する藤原一族への敵対心などが渦巻く「思い」であったろうと推測されるのである。