大洋丸>安洋丸船長のきいた大洋丸遭難

昭和17年5月15日、高雄に入港して、初めて「大洋丸」の遭難を知った。南方占領地行きの関係者を多数乗せ、海軍艦艇援護の下に航行中、去る8日夜東支那海で敵潜水艦の雷撃を受けて沈没したとのことであって、魚雷命中と同時に大火災を起こし、しかも波の高い暗夜のことであったので多くの犠牲者を出したそうでまことに痛惜に堪えない。船と運命を共にした原田船長の悲壮な最後の有様が目に浮かぶようである(「南十字星の下を行く」甲陽書房1967 p320高田正夫)*この本は戦艦大和関係本を探しているとき目にした。江東区になく、都立中央にあり、東陽図書館に予約、2005年1月16日この「大洋丸」部分を読む。著者高田は明治25年沼津辺の生まれ、東京高等商船学校卒業。戦前南洋、印度、近東、欧州、米国などの航路に就航。昭和22年退社。その後海運関係会社・団体の役員。戦時中、陸軍御用船安洋丸船長、リンガエン湾、スマトラパレンバン作戦に参加。著書「還ってきた長良丸」

大伴家持能登の歌5首」
○5首の主要語句とその解釈、主要語句とは、之乎路、羽咋の海、香島津、熊木、など。
先頭は主要語のヨミ、主要語、解釈頁、解釈語句、それに繋がる1行は、書名/誌名巻号、年月、解釈者名である。40文献行ほどできた。勿論、同じ主要語句の行はいくつもある。