大洋丸>政府御用船

「政府御用船」1941年8月の太平洋航路閉鎖により、人と物資が滞留したので、日本政府は米国政府と交渉し、各自国への引揚者を輸送することになった。10月に政府は日本郵船の3隻を傭船日本郵船旗を降ろし、煙突を黒塗り郵船マークも消した政府御用船を米国に派遣した。第一便龍田丸10月15日、第二便氷川丸10月20日、第三便「大洋丸」は10月20日、米国への船客361名で横浜出航、11月1日ホノルル着、日本への船客456名で5日出航、17日横浜に帰港(「日本・欧米間、戦時下の旅」淡交社2005 p95 泉孝英)

「戦時下の旅」このを坂本さんに教えられ、都立中央図書館から本が届いて見たときは、この本の著者問題意識に脱帽した。「戦時下」という視点、交流しにくくなる戦争下で人々はどのような切実な意識で、交通しなければならなかったか、想像することもできないほど、難しい局面にそれぞれの分野の代表者たちは苦悩したか。それもあるが、私の興味の一半はこの本、索引があって「大洋丸」には2箇所の頁があり、とんでもなく素早く必要箇所を見る事が出来たこの本に、「大洋丸」記事があるのでは、と手を伸ばしたときの、坂本さんの捜査感というものが、どう動いたのか、それが知りたいのである。