大洋丸>深井の安部屋

安部屋の海や、鵜島の造船所が「大洋丸」という船のあれこれを調べて50年を過ごした男の海というものの憧れの原風景であると、一人思い定めてきたものだが、住んでいる江東区区営の文化センターで文献探索研究会の談話会を呼びかけたら、一人入って見えた人が、安部屋の海に私も泳いでいると言われるのには驚いた。その森井さんのお祖母さんの里が
志賀浦村の安部屋だとのことである。森井さんの安部屋行は、昭和17年、18年、25年、26年の夏であった。昭和50年からは時々で、この10年は行っていない。お父さんのいとこが志賀浦で亡くなってから、無縁になっているとのことである。そこで少し安部屋の海のことをしらべてみた。
安部屋は弁天島(三味線島ともいう)が海に突き出し両側は、富来町福浦と並ぶ天然の良港、安部屋瓦・安部屋晒の移出港。江戸時代は加賀藩の安部屋村、明治22年から志賀浦村の大字、昭和29年から石川県羽咋郡志賀町の大字。近年海岸の暗礁を除去、湾内を水深11mとし、本格的漁港改修工事(2億500万円)に着手している。