大洋丸>鵜島造船所

能登の山村に生まれ育った私が、大洋丸という商船に18才の時に、本のなかで出会い、図書館勤務で身についた文献探索癖のために、今日まで大洋丸の記事を探し続けて来た。その因縁は、安部屋の海にある。狭い田圃の盆地から森の生い茂る峠を越えて、見晴るかす岸辺から、弁天島という細く長い岬が果てしない日本海に伸びて、波穏やかな砂の海岸は、格好の海水浴場だった。峠越えに海苔巻きのむすびを背負い直す。松林の松露の匂いは、いつになっても記憶に残った原風景。それから急に穴水へ。幼稚園、国民学校一年生の冬大東亜戦争が始まった。鵜島、乙ケ崎の木造船造船所が急に忙しくなった。餅撒きがあって賑やかな進水式は直ぐ取りやめになったが、船はたしかに急造されていた。コールタールの激しい匂い、それはしかし大口から出航して、米国潜水艦の標的になって撃沈された輸送船の焼けこげた材木だった。