大洋丸>徳永太郎

「坂本報知」により、「日本・欧米間、戦時下の旅−第二次世界大戦下、日本人往来の記録」を知り、江東区にはなかったが、都立中央図書館にあったので、借用を申し込む。

「徳永太郎」は、1941年6月2日、在スイス日本公使館3等書記官に任ぜられたが、独ソ戦でシベリア経由を断念、浅間丸で妻と横浜を出航、しかし米国の在米日本資産凍結で、浅間丸は横浜に帰港。しかし欧州赴任を果たすため、日米の政府間協定により運航の政府御用船「大洋丸」で10月20日横浜出航、11月1日ホノルル到着。数日後、米国船で桑港へ、大陸横断鉄道でニューヨーク到着。11月下旬出航、12月上旬リスボンに到着。マドリードから鉄道で12月8日、日米開戦の日、ベルン着。駐スイス公使は三谷隆信であった(「日本・欧米間、戦時下の旅」淡交社2005 p89 泉孝英)

「経緯」徳永太郎のこの話は、google検索で出てきていた。下枝さんという奥さんにインター・ビユーして記したものである。