大洋丸航海日誌

○尾崎秀実を知ったのは昭和11年の夏、ヨセミテ国立公園で、太平洋問題調査会があり、日本の代表団に加わって、大洋丸で横浜を出帆しようという前日だった。調査会の日本事務局長牛場友彦が今度の会議に出る尾崎を紹介するというので、丸ビル地下の喫茶店であった。プックリ肥った、眼の細い、眉毛の薄い、おどけたような格好の身体を、無造作に夏服で包んだ男だった。これが新しい中国通なのか、といささか当て外れのような感がないでもなかったが、何となく好感をもったのであった。同じキャビンで寝起きしたこの旅の往きと帰りと、アメリカでの1箇月ばかりの間を、終始一緒に生活している間に、僕はすっかり尾崎と親しくなった。
(「貴族の退場」ちくま学芸文庫1995 p50 西園寺公一