大洋丸航海日誌

*カメラマンの藤波さんは前田利為ボルネオ司令の遺志を継ぎ撮影された文化映画「キナバル山」を大変な努力で撮り終えたフィルムを持って昭和18年の暮れ内地に帰ってきた。

○南方ボケの私の頭と皮膚は内地のきびしい冬の風にさらされて悲鳴をあげた。二年ぶりの対面で家内の口にした最初の言葉は、大洋丸撃沈事件のことであった。家内は私が大洋丸に乗り込んでいるものと思い込んでいたので「詳報がくるまで仏壇にあなたの写真を飾り、毎日朝夕お経をあげていましたよ。顔を見るまでは本当に私は後家さんになったんじゃないかと思っていました」といった。戦時下の家庭に起った悲喜劇で、こんな話はどこにでもあったことだろう。
(「ニュースカメラマン」中公文庫1960 p252 藤波健彰)