大洋丸遭難を後にして吉野丸は南へ

大洋丸撃沈を後ろにして藤波さんたちの吉野丸は南方を目指す。南方の占領地に行って戦争継続のための資源を開発して一日も早く日本に送らねばならない使命がある。大洋丸から投げ出された人々を救助してはいられないのである。藤波さんは続いて次のように書く。

○台湾の高雄に着いたのは、それから数日後のことである。私は上陸する人に頼んで、一枚のハガキに無事航海をつづけていると家族に知らせた。大洋丸のことは検閲を考え、一行も書かなかった。
(「ニュースカメラマン」中公文庫1980 p208 藤波健彰)

*藤波さんはさらにいう。

○日本の領海内に敵の潜水艦が現れ襲撃されるようになった厳しい戦局を思わずにはいられなかった。敵は日本の軍需物資や兵員をねらって大胆に攻撃をかけてくるだろう。海上交通のおおい所ほど待ち伏せされる危険が多いと考えねばならない。
(「ニュースカメラマン」中公文庫1980 p208 藤波健彰)