大洋丸航海日誌

大洋丸という文字がとにかく出ている文献を見つけ記事を要約して内容の時系列に並べる作業を続ける、というのが最もシンプルな目的でありその過程で日本が近代の戦争に巻き込まれて行く事情を読み取り自分の生きてきた時代というものへの認識をより一層深めるというのが大洋丸文献探索の大きな目的となっている。次は最も最近の大洋丸が出てくる記事である。しかしこの記事は自分が探したものではなく大森さんの報知である。

○私は5月2日に東京を出発、5日に宇品から大洋丸に乗船出帆した。8日の夜東支那海で敵潜水艦の魚雷を三発うけて船は轟沈させたれた。乗員千五百名のうち助かったのは約五百名であった。いったん帰京して最出発を待った。再出発の私に斎藤茂吉先生は三首の歌をくださった。その三首を読みやすい文字に深井が改めてここに記す。

大君のまけのまにまに生き死にの境をこえて君は行くなり

数万の船舶つくりささげたるその船舶の神様君は

わた中に入りにし吾がふみを時のまもおもふ時にし君に感謝す

私は7月13日の再出発、宇品から貨物船昭浦丸出帆、8月8日にシンガポールに上陸した。今度も二度ばかり潜水艦に狙われたが、こちらが先に発砲したので難をのがれた。(「斎藤茂吉全集6月報17」岩波書店1974 p4 橋本徳寿)