大洋丸航海日誌

昭和17年5月6日船団会議があり、109船団5隻のうち最低速9.5ノットの御影丸に速度をあわせることに大洋丸の原田船長が、機関整備が困難になるほか、敵潜水艦の好餌になると言って強力に反対した。ところが御影丸は海軍関係船で陸軍の船団からはずことは陸海軍の関係がまずくなるというのでできない。結局船団は低速ですすむことになった。
(「企業戦士、昭和17年春の漂流」朝日新聞社1988 p198 小田桐誠)

*原田船長が力説したとうり、これが接近しつつあった米潜水艦グレナディア号の好餌になる原因となった。大洋丸が最大の109船団の5隻は「大洋丸誌」編集の頃は2隻の船名が不明となっているが駒宮真七郎「戦時輸送船団史」によれば、大洋丸、御影丸、神陽丸(どうばあ丸)、隆西丸、吉野丸である。吉野丸は大洋丸が大正10年独逸賠償船として日本に引き渡された時、同時に来た賠償船の一隻であるのも不思議なまわりあわせである。吉野丸から大洋丸撃沈の様子をながめている記録に、当時の撮影技師藤波健彰さんの「ニュースカメラマン」中公文庫、仙台に現在在住の高橋正子さんの「ジャングル記」自費出版がある。