大洋丸航海日誌の継続

昭和17年5月8日、大洋丸が3発の魚雷攻撃をうけ積荷カーバイトの誘発で猛烈な火炎をあげて撃沈する様子を同船団吉野丸から目撃した二人の人の公刊された手記2冊は読んでいた。一冊は中公文庫になっていて江東区の図書館から借りた藤波さんの「ニュースカメラマン」、一冊は仙台・宮城野の高橋さん著書「ジャングル記」で、大森さんにお願いしてコピーして送ってもらったものである。このお二人に見守られて撃沈した大洋丸から海に投げ出され九死に一生を得た橋本徳寿さんの「素馨の花−吾が南方日記」も都立多摩図書館から借りて読んでいる。ともに大洋丸撃沈の様子が描写されている。ところがこの3冊を改めて読んで、その場面を改訂要約し前著「大洋丸の航海」のデータ中に挿入作業中の私は、今月の8日を、その日と意識せずに過ぎた。昨晩、昨日は大洋丸が沈んだ日でしたがと仙台の高橋さんから電話があって、その迂闊さに驚き、82歳にもおなりの高橋さんに平謝りした次第です。

タイトル:大洋丸乗客名
投稿者名:王流
コメント
友人の大叔父にあたる方が乗っていらしたそうです。
フルネームは存じ上げないのですが、細井さんという方です。

この細井さんはおそらく細井豊太郎さんのことでしょう(「大洋丸誌」1985刊p176)。
三井物産の人だったようです。

遺族の方に消息を伺おうとして小田原市に電話してみたが電話の持ち主が変わっていた。

それにしてもこのコメントの主「王流」さんがどうして深井の『文献探索』編集日記を
みられてコメントされたのか知りたいものです。

王流さんの友人という人を紹介してほしいものです。

このコメントの日がこの5月8日なのも不思議です。
上記のように昭和17年5月8日は大洋丸アメリカの潜水艦グレナディア号によって
撃沈され千余名の当時の開拓関係有力会社のエリートが遭難した日なのですから。

大洋丸の上でも毎日、練習しました。アメリカまで二週間もあるのですから。円盤や、やり投げの人は、ひもを付けて投げるんです。それは毎日真剣なものでした。NHKテレビで私たちロサンゼルスオリンピック選手団の姿を描いたドラマを放送しましたが、全然私の当時思っていたイメージと違っているので驚きました。田中英光さんというボートの選手が女性選手に思いをよせるのだが一方通行で「きさま女に思いふけっているのがけしからん」とほかの選手が仕打ちするといったものでした。なんだかだらしないようで、選手とは、ああいうものだなと思われたら、私はがまんできないわね。最近入手の「北国新聞」昭和52年4月7日夕刊5面「わが半生記」(長井百合子談)より。