坪野哲久>大学の書記

坪野哲久の小説集のなかに確かに大学に書記として勤務していたらしい箇所を見付けたと思って、あとでその箇所はすぐわかるとおもい、先に読み進んだ。11篇収録のうち最後の1篇「妻の砦」にかかろうとして急にあの箇所を抄録しておかないと忘れるかもしれないと、急いで探したら見つからない。そこで、しっかり気を落ち着けて最初からもう一度見直して、やっと発見した。その箇所は、記憶していた箇所とは随分違ったところだった。しかも二箇所に分かれていた。記憶というものの不確かさに驚いた。その作品は戦前の2篇に続く、戦後の第1篇「鎖」のなかであった。自分の抄録は要約であって原文のままではないことを断っておかなければならない。原文のままでは、その箇所を抄録しようとする意図が見えなくなることが多いと考えているからである。

○食うためいくつかの職業を転々としたが、いつも喀血で倒れ、自然にお払い箱になった。窮迫につきものの家移りも、最後に高台の屋敷町に寄生している長屋の一角に辿り着き、此処で千太が生まれ、津村は某大学の書記という不思議な仕事にありついた。助教授くらいの値打ちはあると冗談口を叩きながら勤めていたが、二年目には例の喀血でまた倒れた(「坪野哲久小説集」石川県志賀町2006 p96)