大洋丸乗船者大橋光吉および広橋百合子

○大正14年4月2日、博文館専務取締役大橋光吉は、
欧米各国の印刷業視察と、新鋭の機械購入の為に、
横浜を東洋汽船大洋丸で出発して先ず米国に向かった。
(「博文館五十年史」博文館 1937 p297)

*またまた、坂本さんが大洋丸記事をご報知。
「博文館五十史」(坪谷善四郎)は早大(ネ1-3823)に
ありますが、大洋丸記事が掲載されているとは、
知りませんでした、見にゆきます。ありがとうございました。
大洋丸調査の私の関心は、こうして突然博文館史のうち
にも大洋丸が出てくることを知ったり、大橋光吉という人物
がどんな人物かについて、そこここを見るついでに、
ほかにも関心のある箇所を、あちこちと読んで、
大久保さんなどによって教えられた博文館について、
さらに知ることになることを喜んでいます。

*郷里石川県志賀町立図書館の例年農閑期2月の万葉講座
能登を行く大伴家持」に毎度出席の茶木さんから、葬儀
で行った奥さんの実家で見たアルバムに広橋百合子の写真
が貼ってあったと電話があった。広橋は昭和7年6月30
日から2週間、大洋丸乗船者であった。田中英光の「オリ
ンポスの果実」に出てくる大洋丸船上でヒロイン「熊本秋子」
のモデル相良八重とふたり女子走り高跳び選手でロサンジェルス
・オリンピックに出場した。小説では「中村さん」である。
当時石川県羽咋高等女学校在学の16歳であった。
茶木さんはその羽咋高女が戦後、羽咋高校となったときの
生徒で、どうして奥さんの家のアルバムに広橋百合子の
写真が2枚も貼ってあたのだろうか。
1枚はオリンピックで彼女が1米50を飛んでいる写真、
1枚は羽咋駅で町の人々に見送られている写真だそうである。