大伴家持>天平17年上京中止

天平17年」
天平勝宝9年、橘奈良麻呂藤原仲麻呂暗殺計画がもれた。陸奥守佐伯全成は聖武天皇病気の天平17年、大伴・佐伯の氏人を反乱に誘ったと自白した。家持は知らされていなかったか。家持の従弟大伴古麻呂越中の掾であり家持の部下でもある大伴池主も反乱の首謀者であった。家持がそれを知らないはずがない。天平19年の家持の上京予定と中止はこの暗殺計画と関係があろう(「梅原猛著作集12」集英社1982 p759)