大洋丸航海日誌

辰野隆大洋丸ハンブルグ港で本当に見たのか。東京駅建築の辰野金吾長男、辰野隆の「凡愚問答」には確かに見たと書いてある。それは大正10年夏の終わりだったという。大洋丸が独逸の賠償として大正10年の1月に日本に回航されたことは当時の「海事新報」に毎日のように出ているし脇村義三郎編集の権威ある「近代日本海事年表」の大正10年1月の項に横浜港入港が記載されているにもかかわらずである。
辰野隆は東大助手の時代に早稲田に出講して井伏鱒二、青木南八らにメリメなどを教えた。吉江孤雁の帰朝といれかわりにフランス留学を命ぜられ、直前の大正9年12月に早稲田仏文の学生による壮行会が開かれ井伏と一緒に写っている写真が残っている。
(「井伏鱒二事典」明治書院2000 p216 湧田佑)