大洋丸航海日誌

大洋丸を大正10年の夏の終わり頃、留学中のドイツはハンブルグ港で山田珠樹とともに見たと、辰野隆は「凡愚問答」に書いていて、その日が何日かは辰野の別の随筆集「」に収録の岳父宛て書簡の日付で判明している。9月24日ではなかったろうか。ところが大洋丸は大正10年1月に横浜港に到着している。それは「日本近代海事年表」にも当時の「海事新報」という業界新聞でも明らかなので、辰野はただハンブルグ港に敗戦国ドイツの他国への賠償船群を見て帰国してから、何かのことで日本で運航している大洋丸のことを知って、あのときハンブルグ港にいた船のなかに大洋丸がいたに違いないとおもったのであろう。ここでことの真偽よりも、この辰野隆が欧州留学前は早稲田大学文学部仏文科の講師で、当時の教え子に井伏鱒二がいたことである。辰野と井伏の動静を井伏の年譜から拾ってみる。

○大正8年3月31日、早稲田大学高等予科第3部終了。4月14日、新設の文学部文学科仏蘭西文学専攻第1年に進学。10月1日以降学科主任吉江喬松が仏留学中で、東大助手で非常勤講師辰野隆より1年半近く仏文の講義を受ける。
大正9年4月1日新大学令施行、仏文学専攻別格第1年となる。12月、辰野隆を囲む会に、青木南八とともに出席。
大正10年3月、東大助教辰野隆仏蘭西留学送別会に、青木南八とともに出席する。
(「井伏鱒二全集別巻2」筑摩書房2000 p498)